経験を重ねた三人、この年齢になった三人だからこそ見えてくるものがあると?
平山>年齢ではなく、今の自分たちのやることをやっているだけ。周りはそれを見て“あの年齢だからできることだよね”って納得するかもしれないけど、結局舞踊家って若いか若くないかではなくて、ひとの前に出たときに舞踊家でいられるかということがすごく問われると思っています。もちろん、だんだん脚が上がらなくなったりするのはショックですよ。でもそれとは別の次元で、踊りと向き合う長い時間を大切にしている。そして、ひとの前に立つ責任感があるかということ。責任感は重要なキーワードですね。原田>このトシだから頑張ってるよねって思われる次元じゃない。だからこそ、今この三人なんだと思うんです。それぞれがもう闘っているひとたちというか、責任にこだわったり、そういうところもすごく共感するし。
加賀谷>たぶん20代のギンギンの頃だったら、一緒にやろうよとはならなかったと思う。今ここで集まれたけど、若い頃だったら集まろうとしなかった。若かったらできなかったと思うし、今だからこそできることがここにあると思う。そういう意味では、年齢というか世代は関係しているかもしれないけれど。チラシを見たら、それこそ年齢と闘っているとか、もしくはこの三人が互いに闘うとか、今の私たちに何ができるかという現実と闘っているとか、みなさんの印象は全然違うかもしれない。でもそれぞれにトウがたって責任ある状況で生きているひとたちが集まったら、戦わなくてよくて、ただ集まれただけという気がしています。
平山>おふたりとも自分以外の人を頑張らせる立場になりつつあるから、自分で自分のことを頑張る機会が少なくなっているのでは。だから、今回は追い込みたいとも思います。一緒に走って、一緒に乗り越えて、スタイルとかジャンルとかそういうことではなく、“踊り続けるってステキなことだよね”っていうシンプルなものをきちんと提案したい。舞踊そのものが伝えるべき身体の温度って、理屈を飛び越えてキャッチできると思うから。
『ファム・ファタール』=“運命の女”というのは、全てにおいて、そうあって欲しいという私の願いでもある。おふたりと一緒に踊ることで、また舞踊活動に新しい運命を運んでき来てくれたらと。また逆もあって、私も彼女たちにとってそういう存在であれたらと願っています。
(C)吉田多麻希