ペルセポリスの歴史1. 大帝国の誕生
アルタクセルクセス2世の墓のレリーフ。右上に飛んでいるのがアフラ・マズダで、3つの羽根は良い考え・良い言葉・良い行動の3つの教えを表すといわれる ©牧哲雄
続くカンビュセス2世はエジプトを征服し、アッシリアに続いて古代オリエント統一に成功。ダレイオス1世はさらにギリシアにまで攻め込み、最大版図を獲得する。
ダレイオス1世のレリーフ。従者が日傘と蝿払いを持って王の後ろについている ©牧哲雄
当時この地に流行していた宗教がゾロアスター教だ。光の神アフラ・マズダと闇の神アーリマンによって世界は支配されているとする善悪二元論の宗教で、この2神はいってみれば神と悪魔。その力はほぼ対等で、つねに戦い続けているのだが、最後にアフラ・マズダが勝利して、悪は滅び、救世主のもと世界が再建され、すべての命が復活して楽園が造り上げられるという。
一見するとユダヤ教やキリスト教、イスラム教の「最後の審判」そっくりなのだが、成立はゾロアスター教の方が古いため、これがルーツなのではないかといわれている。
ペルセポリスの歴史2. ペルセポリス建設と崩壊
百柱の間。ギリシア兵を率いたアレクサンドロスは、ペルシア戦争時のペルシア軍によるアテネ破壊の報復として、ペルセポリスを完全に破壊した ©牧哲雄
その後クセルクセス1世、アルタクセルクセス1世が引き継ぎ、紀元前450年前後にようやく完成した。先述したように、王はこの都に住むことはなかったが、諸民族が貢ぎ物を持ってこの都市を訪れ、多くの財宝がペルセポリスに収められた。
こちらも牡牛を襲うライオンのレリーフ ©牧哲雄
続いてアレクサンドロス率いるマケドニア王国がギリシアを支配すると、さらに現在のトルコに進出。紀元前333年、アレクサンドロスはイッソスでダレイオス3世と対峙するが、マケドニア軍3~4万、ペルシア軍10~60万の戦いを制してさらに軍を進める。
紀元前331年、ふたたびガウガメラで対峙したふたりだが、今度もマケドニア軍4~5万、ペルシア軍10~100万。しかしやはりダレイオス3世は勝つことができず、またも逃亡した。アレクサンドロスはさらに進軍し、 バビロン、スサ、ペルセポリスを破壊。翌年ダレイオス3世は暗殺され、ここにアケメネス朝ペルシアは滅亡する。
王家の谷ナクシュ・ロスタム
イランの世界遺産暫定リストに記載されており、世界遺産への登録が準備されているナクシュ・ロスタム ©牧哲雄
ナクシュ・ロスタムには3世紀に成立するササン朝ペルシア時代のレリーフもあり、アケメネス朝はペルシアの源流と解釈され、尊重されていることがわかる。
1971年、パーレヴィー朝のムハンマド・レザー・パーレヴィー国王は、ペルセポリスでイラン建国2500年祭を祝った。これは、アケメネス朝こそこの地を支配するペルシア人の正当な起源であるということをアピールしたもので、ペルシアの誇りの宣言だった。
現在もイランの半分の人口をペルシア人が占めており、アケメネス朝は彼らの誇りとして讃えられている。