世界遺産/アジアの世界遺産

ペルセポリス/イラン(4ページ目)

当時世界のすべてを意味した古代オリエント世界。そのすべてを統一したアケメネス朝の夢の跡が聖都ペルセポリスだ。今回は西アジア三大遺跡のひとつにも数えられる、イランの世界遺産「ペルセポリス」を紹介しよう。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

ペルセポリスの歴史1. 大帝国の誕生

アルタクセルクセス2世の墓のレリーフ。右上に飛んでいるのがアフラ・マズダで、3つの羽根は良い考え・良い言葉・良い行動の3つの教えを表すといわれる ©牧哲雄

アルタクセルクセス2世の墓のレリーフ。右上に飛んでいるのがアフラ・マズダで、3つの羽根は良い考え・良い言葉・良い行動の3つの教えを表すといわれる ©牧哲雄

紀元前7世紀、現在のイランの地に大帝国を築き上げていたのがメディアだ。この配下にいたペルシアのキュロス2世は紀元前550年にメディアを滅ぼし、パサルガダエ(世界遺産)を首都にアケメネス朝を建国。鉄器を備えた騎馬軍団を中心とする「不死身の1万人隊」を中心に各地に攻め込み、チグリス・ユーフラテス川を支配していた新バビロニアと、トルコを支配していたリディアをも滅ぼすと、「諸王の王」を名乗る。

続くカンビュセス2世はエジプトを征服し、アッシリアに続いて古代オリエント統一に成功。ダレイオス1世はさらにギリシアにまで攻め込み、最大版図を獲得する。

ダレイオス1世のレリーフ。従者が日傘と蝿払いを持って王の後ろについている ©牧哲雄 

ダレイオス1世のレリーフ。従者が日傘と蝿払いを持って王の後ろについている ©牧哲雄

全盛期はこのダレイオス1世の時代だった。君主となったダレイオス1世は、まず全土を20前後に分けて州を置き、各州にサトラップ(総督)を置いて各地を治めさせた。サトラップが反乱を起こさないよう「王の目」に監察させ、さらに秘密の情報収集機関「王の耳」を置いて統制した。地方との結びつきを強くするために「王の道」を整備して、途中いくつもの中継点を置いて早馬を待機させ、駅伝制を敷いて全土から情報を集め、いち早く指揮を下した。

当時この地に流行していた宗教がゾロアスター教だ。光の神アフラ・マズダと闇の神アーリマンによって世界は支配されているとする善悪二元論の宗教で、この2神はいってみれば神と悪魔。その力はほぼ対等で、つねに戦い続けているのだが、最後にアフラ・マズダが勝利して、悪は滅び、救世主のもと世界が再建され、すべての命が復活して楽園が造り上げられるという。

一見するとユダヤ教やキリスト教、イスラム教の「最後の審判」そっくりなのだが、成立はゾロアスター教の方が古いため、これがルーツなのではないかといわれている。

 

ペルセポリスの歴史2. ペルセポリス建設と崩壊

百柱の間。ギリシア兵を率いたアレクサンドロスは、ペルシア戦争時のペルシア軍によるアテネ破壊の報復として、ペルセポリスを完全に破壊した ©牧哲雄

百柱の間。ギリシア兵を率いたアレクサンドロスは、ペルシア戦争時のペルシア軍によるアテネ破壊の報復として、ペルセポリスを完全に破壊した ©牧哲雄

紀元前520年前後、ダレイオス1世はペルセポリスの建築を開始する。クーヘ・ラハマト山から石灰岩を切り出し、これを並べて大基壇とした。アパダナや宝物庫、タチャラはこの時代のものだ。

その後クセルクセス1世、アルタクセルクセス1世が引き継ぎ、紀元前450年前後にようやく完成した。先述したように、王はこの都に住むことはなかったが、諸民族が貢ぎ物を持ってこの都市を訪れ、多くの財宝がペルセポリスに収められた。

こちらも牡牛を襲うライオンのレリーフ ©牧哲雄

こちらも牡牛を襲うライオンのレリーフ ©牧哲雄

アケメネス朝ペルシアの全盛はペルシア戦争の失敗をもって終わる。ダレイオス1世は紀元前492年、同490年のギリシア遠征に失敗。続いてクセルクセス1世が本陣を率いてギリシアの諸ポリスを襲撃。ギリシアの連合軍1万未満とペルシア軍数十万~数百万の戦いとなったが、こちらも失敗に終わる。

続いてアレクサンドロス率いるマケドニア王国がギリシアを支配すると、さらに現在のトルコに進出。紀元前333年、アレクサンドロスはイッソスでダレイオス3世と対峙するが、マケドニア軍3~4万、ペルシア軍10~60万の戦いを制してさらに軍を進める。

紀元前331年、ふたたびガウガメラで対峙したふたりだが、今度もマケドニア軍4~5万、ペルシア軍10~100万。しかしやはりダレイオス3世は勝つことができず、またも逃亡した。アレクサンドロスはさらに進軍し、 バビロン、スサ、ペルセポリスを破壊。翌年ダレイオス3世は暗殺され、ここにアケメネス朝ペルシアは滅亡する。

 

王家の谷ナクシュ・ロスタム

イランの世界遺産暫定リストに記載されており、世界遺産への登録が準備されているナクシュ・ロスタム ©牧哲雄

イランの世界遺産暫定リストに記載されており、世界遺産への登録が準備されているナクシュ・ロスタム ©牧哲雄

ペルセポリスから6kmほどの場所にナクシュ・ロスタムがある。高さ50~70mほどの断崖には4つの十字が彫られており、アルタクセルクセス1世、クセルクセス1世、ダレイオス1世、ダレイオス2世の墓だといわれているが、正確にはわかっていない。十字架型の墓ということでキリスト教を思い浮かべるが、イエス誕生の500年近くも前のものだ。

ナクシュ・ロスタムには3世紀に成立するササン朝ペルシア時代のレリーフもあり、アケメネス朝はペルシアの源流と解釈され、尊重されていることがわかる。

1971年、パーレヴィー朝のムハンマド・レザー・パーレヴィー国王は、ペルセポリスでイラン建国2500年祭を祝った。これは、アケメネス朝こそこの地を支配するペルシア人の正当な起源であるということをアピールしたもので、ペルシアの誇りの宣言だった。

現在もイランの半分の人口をペルシア人が占めており、アケメネス朝は彼らの誇りとして讃えられている。
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