ジゼルを想いながら生きて行こうと決意するか、命を絶たれるのか、アルブレヒトの最後は解釈が分かれるところです。『おさよ』はどういう解釈で描かれる予定ですか?
花緑>僕は彼を殺しませんでした。落語の『おさよ』ではヒラリオンを半ちゃんという名前にしていますが、彼にはとても死んで欲しくない、あの
安達>やっぱり封建時代のお殿様と自分たちは身分が全然違うんだという葛藤はあるでしょうし、妹のように考えているジゼルに対する気持ちとか、いろいろ交錯する想いがあってああいう行動に出てしまうんでしょうね。実はヒラリオンも半ちゃんみたいなひとなんです。最初は悪の方でつくられたこともあったらしいのですが、現在、特に東京シティ・バレエ
落語版『おさよ』のライナーノーツに十市さんが“半ちゃんを殺さなかったんだね”と問いかけているのを読みましたが、そこにはきっと花緑さんの想いがあったんだろうなと感じます。だからバレエを知ってるひとが『おさよ』を聴くと、また違った意味で深く解釈できるのではないでしょうか。