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柳家花緑の落語バレエ『おさよ』(3ページ目)

世界初・落語とバレエのコラボレーションに挑む東京シティ・バレエ団の『おさよ』。柳家花緑さんが手掛けた落語版ジゼル『おさよ』をもとに、バレエと落語を融合しかつてないステージを創造します。ここでは、5月の上演を前に開催された試演会に潜入! 花緑さんと東京シティ・バレエ団芸術監督であり理事長の安達悦子さんにお話をお聞きしました。

小野寺 悦子

執筆者:小野寺 悦子

バレエガイド


落語の道は幼少の頃から決めていたのでしょうか?

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花緑>母が子供たちのどちらかに落語を継がせたいと考えていて、まず顔で決めたという話です。母いわく、兄が産まれたとき“この子は本当に自分の子かしら!”というくらい色が白くて可愛らしかったそうです。でも僕が産まれたときは赤紫色したサルみたいな子で、違う意味で“本当に自分の子かしら?”と思ったとか。そのギャップの激しいたるや、この子はもう落語家にするしかないと……。落語へのファーストコンタクトは自分の意志ではなかったけれど、実際やってみたら水があったんでしょうね。そういう意味では、まんまと母の策略通り。非常にうまく棲み分けができた形です。

安達>お母様お幸せですね。それに花緑さん、お兄様と似てらっしゃると思いますよ。

ph

 

花緑>だんだん似てきましたけど、子供の頃は差が大きくて、僕と違って兄は子供の頃から本当に女の子にモテてましたね。バレンタインデイのときなんて、朝学校に行くと机の中にチョコがぎっしり。僕はそのお余りをもらって喜んでいたタイプ。でも僕が落語を始めたときにワイドショーが随分取り上げてくださって、テレビ神話で一時的に注目を浴び、一瞬ですけど5人くらいからチョコをもらったことがありました。ただ“チョコもらっちゃった!”なんて大声で教室中に自慢したりと、デリカシーの全くない、非常に女心のわからない男でして。当然次の年からはひとつももらえず、そのまま中学3年まで終えたという。でも兄はずっと変わらずモテていたので、僕は兄が理想でしたね。ああいうカッコイイ男になりたいと、10代の頃から兄を追いかけていたところがあります。


今回の企画はお兄様に伝えしましたか?

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花緑>伝えております。非常に驚いて、“大丈夫なのか?”とひとこと言っておりました。ただ兄は今フランスにいるので本番に来ることができず、とても残念がっていましたね。2001年に『おさよ』をつくったときも、兄が監修に入ってくれています。兄はやはりフランスにいたので、手ぶらフォンを置いて国際電話で音だけ聞きながら稽古を付けてもらってました。兄といろいろ相談しながらつくっていったので、本当はぜひ兄にもこの公演を観てもらいたかったんですけど……。

3年ほど前にティアラこうとうの小ホールで独演会をやらせていただいたことがありまして、そこから今回のお話につながっていった形です。落語が終わった後に余興でピアノを弾くというもので、間違えると土下座して すみませんと謝るのでので、土下座ピアノと呼ばれています。ピアノで癒
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されるのではなく、ハラハラさせるという。だけど聴いてる内に、お客さまも多少のミスタッチは許されるようになってくるんですね。曲はドビュッシーの『月の光』とか、ショパンの『ノクターン』を弾けるところまで弾くという非常にハンパなことをやっておりました。

子供の頃からクラシックのピアノを習っていて、夢中になってよく練習していましたね。ただいろいろな曲を征服していく前に落語の方で真打になる声がかかり、落語の時間をもっと取ろうと決めてピアノを手放してしまった。一番上手かったのは18歳のとき。当時は『ノクターン』やショパンのワルツを譜面を見るか見ないかという調子で最後まで弾き切って、一回ミスタッチがあったからといって落ち込んでいたくらい。ピアノの稽古を辞めたら当然力量はどんどん下がり、その代わり落語の方がだんだん面白くなってきた。『おさよ』のCDの中でも、つたないながら『月の光』や『亜麻色の髪の乙女』など何曲か弾かせてもらっています。

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