マネージャーのビジネスモデルは元祖「会いに行けるアイドル」

ビートルズは62年のレコードデビューですが、それ以前は故郷のリバプールおよびドイツのハンブルグを拠点とするライブ・バンドとして活躍していました。当時エレキギターを使ったロック・バンドは「不良」の代名詞的存在で、ビートルズの面々も素行面は決してお行儀のよいバンドではなく、その風貌も革ジャンにリーゼントというものでした。

61年の11月に一人の男がビートルズと出会います。ブライアン・エプイスタイン。ビートルズの将来性をいち早く察知し彼らのマネージャー就任を申し出た彼こそが、ビートルズを世界に売り出し、今では常識となった音楽ビジネスにおける数々のプロモーション戦略の原型を作った、その人なのです。

解説

マネジャーのブライアンはビートルズの視覚イメージにこだわった

ブライアンは、50年代にエルビス・プレスリーがなぜ他とはスケールの違う大物歌手になれたのかを入念に分析。音楽ビジネスを大きく育てるにはただ単に音楽を聴かせるだけではダメであるとの結論に至り、視覚に訴えてその印象づけをいかに上手にコントロールしていくかに腐心したのです。彼がまずしたことは、当時根強くあったロックに対する“不良の音楽”イメージの払拭でした。

メンバーにはスーツとネクタイの着用を命じ、ヘアースタイルはリーゼントから女性的で柔らかい印象のマッシュルームカットを採用(これは男性の長髪文化の始まりとして、話題を呼ぶことにもなります)。さらには、コンサート演奏で1曲終わるごと全員でのお辞儀を徹底することで礼儀正しさを印象づけるという、商品販売と並行した入念なイメージ戦略を展開したのです。

このような視覚的イメージ戦略をより有効なものにするために彼は、グループには時間の許す限りコンサート活動をおこなわせました。「ビートルズの音楽を聞きたい人はレコードを買えばいい。ビートルズに会いたい人はコンサートを見に来ればいい」という、今のAKB48の原点とも言える「会いに行けるアイドル」路線ビジネスモデルの基礎を、既にこの時代に作り上げていたとも言えるのです。

スティルス・マーケティングで世界を席巻

彼らの人気が盛り上がるにつれ、ブライアンのプロデュースによるビートルズの音楽ビジネスはよりスケールの大きいマス戦略に転換され、ロック界の優等生的イメージ展開は拡大基調で継続されます(余談ですが、この優等生戦略があったからこそ、ローリング・ストーンズによるアンチ・ビートルズ戦略は成立したのです)。

この段階ではコンサートと共に、テレビ、ラジオ出演の積極活用、さらにはオリジナルの主演映画制作といったものが新たに加わり、メディアミックス戦略のハシリとも言える大々的なイメージ戦略が展開されました。テレビ局向けに彼らが出演できない時に流してもらう目的で演奏フィルムを作ったのは、プロモーション・ビデオの発祥とされています。