2012年、当時の日本将棋連盟会長だった故・米長邦雄が先陣を切った公式棋戦である。その成立までの経緯については、ぜひ過去記事をお読みいただきたい。(『米長邦雄/前編』『米長邦雄/後編』)
米長出陣の第1回目は個人戦、その後は団体戦の形式を取ってきたが、いずれもがソフトの勝利で幕を閉じていた。そして2015年の今大会、主催者であるドワンゴ社は、ついに「FINAL」と銘打つ。最終決戦と位置づけたのだ。キャッチコピーは「人類の、けじめの戦い」。この言葉にもどことなく漂うが、もはや人間はソフトに勝つことができないのではないか、そんな雰囲気が充満する中、最終章の幕が上がる。
車将棋/イメージ
豪華絢爛な賑わいの中で始まった戦いは、桜が日本を染め行く中、4戦を終えてプロ棋士の2勝2敗という成績。将棋の神は、いや、もしかすると天上の米長の仕掛けかもしれぬが、究極の最終戦で雌雄を決するという最高のステージを用意した。けじめを託された棋士は阿久津主税(ちから)。この時点でタイトル奪取経験こそないものの、その棋力は天才のプロ集団でも折り紙付きである。一方、ソフトのアンカーは巨瀬(こせ)亮一氏が開発したAWAKE。本年、ソフト同士のトーナメントで優勝、「電王」の冠を獲得しての大トリである。
阿久津が持つ2本の剣
プロ棋士VSソフト。最後の最後にほほえむのはどちらか?大きな関心を集めるこのテーマの他に、この最終戦にはもう一つのテーマがあった。一部の将棋ファンが固唾を飲んで見守る「裏のテーマ」が存在したのだ。
この戦いにおいて阿久津は2本の剣を持っていた。プロ棋士として長い年月をかけて磨き上げてきた切れ味鋭い名刀。そして、もう一つは対AWAKEに特化し、短期間で探し当てた剣である。後者の剣は両刃であることを阿久津自身は痛いほど知っていた。なぜ両刃であったのか、それは、これから明らかにしていくが、いずれにせよ、阿久津はどちらの剣を抜くのか。これこそが裏テーマだった。
ガイドしていこう。
事件は起こった
「電王戦FINAL」に先立ち、「電王AWAKE(ノートPC)に勝てたら100万円!」という関連イベントが行われたことは、すでに紹介した。阿久津と最終決戦を戦う「電王」AWAKE。ドワンゴ社は最強ソフトに挑戦したいというアマ棋士を募る。ただし、そのままでは勝負にならない。よってスペック(性能)を落とす。とは言え、プロとの戦いを控えた電王が、アマを相手に負けるわけがない。それが棋界の常識だった。だからこそ開催されたイベントである。だが好事魔多し。事件は起こった。断っておくが事故ではない。事故ならば、それでよかった。その日、まぎれもなく事件が起こったのだ。事件の当事者は二者。もちろん、一者はAWAKEである。そして、もう一人はNEC将棋部のアマ強豪・山口直哉氏だ。山口氏は「負けるはずのないAWAKE」を破った後、勝因を語った。驚くべき発言だった。準備してきた作戦? 最強ソフトを思い通り操ったというのか?そんな作戦があったのか?彼は、それを公開するのか?当然のように、耳目が集まった。そして、それは、あっさりと語られる。山口氏はAWAKEの癖をつかんでいたというのだ。AWAKEの敗因ははっきりしている。△2八角と打ち込んだ手が、それである。そこから水が漏れた。この「角」はいずれ取られる運命にある。そして、その通り捕獲されてしまったのだ。準備してきた作戦がそのまま進んで、研究どおり5、60手進んで……/山口氏
あの形になれば(AWAKEが△2八角を)打つと思ってたんで。しめしめと思って……。/山口氏
山口氏は思惑通りに△2八角と打たせることができたというのだ。偶然でも、遠隔操作でもない。彼は盤上にワナを仕掛けた。AWAKEがひっかかるであろうという確信を持って、わざわざ自陣に角を打ち込むスキを作ったのだ。具体的には図の青丸で囲った▲3七銀だ。ここで黄色のマスにスキができている。そこに誘い込まれるようにAWAKEは角を打ち込んだ。さらに山口氏は、軽く言ってのけた。
また同じ戦法を、この後、挑戦する人も使ってくれたら嬉しい。/山口氏
AWAKEにとっての痛恨
山口氏が探し出したAWAKE破りの剣。同じ剣を、半年前からAWAKEの貸し出しを受け、研究してきている阿久津も見つけている可能性は高い。この事件はAWAKEにとって痛恨となる。いや、それどころではない。極論すれば敗北必至宣告と言えるかも知れない。なぜならば、白日の下にさらされた欠点を目の当たりにしながらも、開発者の巨瀬氏は、それを修正することができないからだ。時間やプログラミング技術の問題ではない。今回の電王戦においては、ソフトをプロ棋士に貸し出した時点から、プログラム変更を不可とするルールが採用されていたのだ。そのルールの善し悪しはここではふれない。しかし、たとえ悪法であったとしても、法は法。だから、AWAKE開発者の巨瀬氏にとっては、目の前の緊急事態に、いわゆる手をこまねくしかない状態となったのだ。