万物の霊長……。

人類は自身をそう評した。万物の最高位につくもの、それが我々だと誇ってきた。しかしながら、自然界における人類の身体能力は最高とはとても言えない。むしろ、かなり劣っているとも言えるだろう。

ゾウの力を手に入れた人類/イメージ

ゾウの力を手に入れた人類/イメージ

馬より速く走ることができる人間はいないし、ゾウより重い荷物を運ぶことができる人間もいない。だが、私たちは馬にまたがることにより、その速度を獲得したし、ゾウを使うことにより、巨木を運搬することを可能にした。また、牛の力を開墾に、犬の臭覚を狩りに用いるなど、まさに霊長を自負する存在と成り得た。それは、すべてが「思考」のなせる技であった。
   

肥大化する思考

思考が霊長としてのステイタス/イメージ

思考が霊長としてのステイタス/イメージ

現代まで、人類を生存せしめてきたもの。それは古代より培ってきた「思考」そのものだ。自分より、はるかに巨大で、まともに戦えば、ひと踏みでジ・エンドの結末となるマンモス。どうすれば、あの巨獣を「脅威」から「食糧」へと変換できるのか。その時点では、答えのない問いを自らに課し、解法をさぐる能力、つまり「思考」力。

人類は「思考」を武器とすることを思いつく。脅え、逃げまどう対象でしかなかったマンモスに、落とし穴を作りヤリを考案することで、祖先は挑んだ。思考が、いわゆる「戦術」と「道具」を 生んだのだ。そして、勝った。崩れ落ちる巨獣が発した最後のうめき声は、きっと、現代を生きる私たちのDNA記憶の中に残っているのだろう。その瞬間こそ、「思考」信仰の始まりではなかったか。
 
霊長の自覚を持った人類は、さらに思考そのものを思考する「哲学」をも生むに至る。それは、まだ紀元を迎える前のことであった。ピタゴラス、ソクラテス、プラトン、アリストテレス……。孔子、老子、荘子、墨子、孟子……。洋の東西を問わず、彼らは思考に磨きをかける先駆者であった。そして、17世紀の哲学者パスカルは記す。「人間は考える葦(あし)である」と。18世紀にはニュートンが出現し、物理学を確立させる。生物だけでなく、自然界そのものが「科学」という道具を使えば理解しうるもの、コントロールできるものと考えられた。

こうして、思考が肥大化し、さらなるスーパー技術を生み出すのに、そう時間はかからなかった。霊長は、牛馬、そして、ゾウの力を遙かに上回る「パワー」を創り上げたのだ。ワットらの蒸気機関の開発と応用を中心とした「産業革命」である。人類の手足となるマシーンが次々と誕生していく。

現代・・。

宇宙/イメージ

宇宙/イメージ

我々の「思考」は、科学を駆使し、光さえ届かぬ暗黒の深海世界や、広大な宇宙空間に孤独に浮かぶ、半径わずか160メートルの小惑星にさえ到達しうる術(すべ)を与えてくれた。かように人類の歴史は思考の歴史そのものなのだ。そして、道具や技術は、思考を具現化するためのものとして進化してきた。

ここで問いたい。もし・・。

もし、手段であるべき道具が、ひそかに、ある野望を抱いたとしたら、どうだろう。「自分こそ、万物の霊長なのではないか」と……。

その名はディープソート

チェスという舞台で/イメージ

チェスという舞台で/イメージ

1988年、大学の研究室で、彼(それ)は産声を上げた。米国カーネギーメロン大学のOBチームが開発したチェスソフト、その名は「ディープ・ソート」。彼は、チェスにおける陣形を70万通りまで読むことができる能力を備えていた。そして彼は望む。もっと、高度な思考がしたいと。

1997年5月。衝撃が走る。

人類だけに、その使用を許されたはずの「思考」分野で、「道具」が人類を上回ってしまった。チェスの絶対王者、ロシアの ガルリ ・ カスパロフが、IBMのスーパーコンピュータ に搭載された「ディープ ・ ブルー(もちろんディープ・ソートの後継である)」 に敗れたのだ。
手段に過ぎなかった「道具」が思考し、あろうことか、人類を凌駕した瞬間である。チェスの指し手の組み合わせは、10の120乗。これは、恐るべき数字だ。皆さんは、おそらくグーグルという検索サイトをご存じだろう。実は、このグーグルという名前は、グーゴルという言葉に由来している。それは数の単位を表す言葉であり、1グーゴルとは10の100乗という数字を表している。チェスは1グーゴルを上回るのだ。

それから2年後の1999年。

あのノストラダムスが、人類滅亡を予言したとされる年に、ある映画が世界的に大ヒットする。「マトリックス」だ。コンピューターが人類を支配する世界を描いた、この作品は、まさしく予言者の言う「恐怖の大王」を暗示していたのではないだろうか。