棋界の怪物くん
糸谷のニックネームは「怪物くん」である。これは、プロデビュー戦の相手となった橋本 崇載(たかのり)が、その強さに思わず発した言葉「(糸谷は)怪物だ」によるそうだ。「怪物くん」が「竜王位」を獲得し「怪物大王」へと変貌を遂げたのだ。この快挙をやってのけた彼の将棋については、プロ棋士や観戦記者によるたくさんの分析がなされている。ネットにも関連情報がたくさんアップされており、さすがにスペシャリスト達の分析だと感心させられることしきりだ。
しかし、ガイドはあえて言いたい。様々な切り口から、あふれんばかりに提示された糸谷「怪物大王」分析ではあるが、一つ足りない気がする。それは、ハイデガーという入り口である。ハイデガーという入り口
マルティン・ハイデガー(1889-1976)。20世紀最大の哲学書と言われる『存在と時間』を著したドイツ人、哲学界の巨星である。大阪大学院の哲学科に籍を置く糸谷は、大学以来、ハイデガーの思想哲学に深く関わり、卒業論文のテーマにするほどの研究をしてきたのだ。どの世界でもおなじであろうが、プロの世界は甘いものではない。天才と言われる子ども達が、奨励会というプロ棋士養成機関に入り、淘汰され、ほんの一握りの超天才のみが棋士となる。その超天才達が戦国時代さながらに争い、勝ち残ったものだけが冠を手に入れるのである。それゆえ奨励会入会により、学業をあきらめ、将棋にのみ没頭する道を選択した子ども達も珍しくはない。
そんな中、糸谷はプロ棋士として初の国立大学合格を果たし、大学院まで進んだ。哲学研究のためである。他の棋士達が新しい定跡の研究を行っている間、彼はハイデガー哲学にもその時間を割くことを選択したのだ。両立は困難なはずである。結果的には竜王位という棋界の山頂に旗を立てたが、当時は、そんな保証などあるはずもない。再度押さえておきたい。糸谷はプロ棋士になった後、大学の哲学科へと道を進め、さらに大学院へと道を進めたのだ。プロの厳しさを知り尽くしながら、哲学への歩みを進めたということは重要だ。周囲から、棋士生命に関わる重要な時期に何故という疑問は当然のように起きた。
糸谷が、それほどまでして希求した哲学とは何なのか?なかんずくハイデガーの思想とは何なのか。同じように糸谷を魅了した将棋との共通点もしくは接点があるのか否か。ガイドはこれを探りたい。
学識の優駿流
糸谷は祖父の影響で哲学科へ進んだ。祖父は中央大学の名誉教授、哲学の研究者である。それゆえだろうか、糸谷は「哲郎」と名付けられている。いずれにしても、生まれた時から哲学が空気のように存在したのだ。さらに、彼の祖母は祖父を上回る読書家であったそうだ。かように祖父母の代から学識の庭が存在したのである。そこで育った糸谷。彼が竜王位を奪取した森内、その祖父はプロ棋士である。ゆえに森内の将棋は「優駿流」とも呼ばれる。それに習うならば、糸谷は「学識の優駿流」であろう。そして、その庭から彼が選んだのが将棋とハイデガーだっだのだ。もとより哲学になどに少しの縁もなかったガイドである。だが「怪物大王」を理解するために「付け焼き刃の上っ面」批判を覚悟の上で、まず、ハイデガーについてガイドが持つたった一つの知識からお付き合い願いたい。