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「超人」ニーチェの言葉と魅力……「ありのままの今」を生きる!

ニーチェの著作を読んだことが無くとも、ニーチェから広まった言葉に触れたことがある人は多いでしょう。キリスト教を辛らつに批判し、時にナチズムへの影響が口にされる。にもかかわらず、ニーチェの言葉は洋の東西を問わず未だ人を魅してやみません。その魅力とは?

宮城 保之

執筆者:宮城 保之

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ニーチェの言葉・魅力

ニーチェの言葉・魅力

<目次>
 

現代思想の寵児が送った波乱に満ちた生涯

Nietzsche

フリードリヒ・ニーチェ (1844 - 1900)

フリードリヒ・ニーチェFriedrich Nietzsche)といえば19世紀後半に活躍したドイツの哲学者。「神は死んだ」、「超人」、「力への意志」、「ルサンチマン」、そして「永遠回帰」といった挑発的な概念や警句を世にもたらし、20世紀から今日にいたるまで最も大きな影響力を持つ思想家と見なされています。ハイデッガーにヤスパースら20世紀ドイツの哲学者、それにカミュ、バタイユ、フーコー、デリダ、ドゥルーズといったフランスの作家・思想家たちの仕事も、ニーチェの存在を抜きには考えられません。

その生涯は、1844年、当時のプロイセン王国の小村にルター派牧師の息子として出生。ボン大学、ライプツィヒ大学で神学と古典文献学を学び、特にショーペンハウアーの哲学とワーグナーの音楽に熱中します。優秀さを認められ24歳にしてスイス・バーゼル大学の古典文献学教授に招聘。1872年、第一作となる『悲劇の誕生』を出版。その後も問題作を発表していきますが、頭痛などの慢性的病気のため1879年教授職を辞職。以降在野で『ツァラトゥストラはこう語った』『道徳の系譜』等を執筆。1900年、肺炎により55歳で死去。生涯独身であり、遺稿は世話役であった妹エリーザベトの手により編集・出版されています。これがニーチェの著作をナチスの手にもたらすことになってしまいました。

熱心な牧師の家庭に生まれ育ちましたが、学生時代にはキリスト教の信仰から離れ、のちには公然たる反キリスト者に。学生時代に熱中したショーペンハウアーの哲学、ワーグナーの音楽とも袂を分ち、生涯独身で病弱、晩年は精神も病んだと言われています。著作の多くは論文ではなく断章形式で表され、その所々に女性やユダヤ人、弱者をおとしめる記述も。

今日の私たちが知るいわゆる「良識」から程遠い思想家ニーチェ。その魅力はどこにあるのでしょうか。
 

「武士道」を例にわかりやすく解説! 「系譜学」とは?

Der Sklavenaufstand in der Moral beginnt damit, dass das Ressentiment selbst schöpferisch wird und Werthe gebiert: das Ressentiment solcher Wesen, denen die eigentliche Reaktion, die der That versagt ist, die sich nur durch eine imaginäre Rache schadlos halten.“ ("Zur Genealogie der Moral", I-10)
「道徳における奴隷蜂起は、ルサンチマンそのものが創造的になり価値を生み出すことで始まる。このルサンチマンとは、本来の反応、つまり行動というあるべき反応が出来ず、ただ想像による復讐でのみ埋め合わせをするような者のルサンチマンのことだ」 (『道徳の系譜』(第1論文10節))
まずは主著の一つ『道徳の系譜』(Zur Genealogie der Moral/ツァ ゲネアロギー デア モラール)からの一節を。表題に示されているとおり、この書で扱われているのは「道徳Moral)」、それもキリスト教の倫理。もちろん「反キリスト者」として知られたニーチェ、そこでなされるのは仮借ない批判ですが、そのために用いられるのがこれも表題に記される「系譜学Genealogie)」なのです。

「系譜学」とは耳慣れない用語かもしれません。ギリシャ語のgeneá(誕生、発生、由来)から造られた語で、特にニーチェのこの書以来、道徳などの価値・規範の本来の成り立ち、その起源を、歴史学や文献学の手法を用いて批判的に暴き出すことを目的とした学とされます。

ここで問題とされる由来や成り立ちとは、歴史の教科書で「キリスト教の成立」として説明されるようなものではなく、むしろその影で隠蔽されているもの。すなわち「ルサンチマンRessentiment)」、つまり傷つけられた自意識、怨恨、復讐心に他なりません。自分たちを虐げる者(例えば当時のローマ人)に対し力で立ち向かうのではなく、「想像による復讐(eine imaginäre Rache)」で報復する弱者の知恵、それこそキリスト教という道徳上の「奴隷蜂起(Sklavenaufstand)」を生み出し、育んで来た根本要因なのだ、と。ニーチェは系譜学という手法によって、キリスト教会が説く「汝の敵を愛せ」や「貧しき者は幸いである」といった福音の上っ面を剥ぎ、その底にうごめく暗い情念をその教えの「正体」として引きずり出すのです。

キリスト教では分かりにくいという方のために、現代日本でよく口にされる「サムライ」という言葉で考えてみましょう。「武士道」に由来するこの言葉、禁欲的にして鍛錬を怠らぬ勇敢な者の代名詞として、周知のように今日では特に優れた日本人スポーツ選手やチームの形容とされています。

ではその「武士道」とは本来どのようにして成立したのでしょうか? その社会規範としての成立期は、実は実際に武士が活躍していた戦国の世ではなく、江戸時代のこととされています。江戸時代といえば基本的に天下泰平、平和の時代、鎖国により外敵もありません。つまりもはや「武士」が必要でなかった時代のはず。ならば彼らの大半は刀を捨て、鍬や算盤を手に生涯を過ごしても良かったのではないのでしょうか?

ところがそうはなりませんでした。彼らは「武士」という職業に固執し、かつ「士農工商」という用語に示されているように社会の最上階級に留まることを欲します。戦乱の時代ならともかく、平和な時代に「軍人」が一番デカイつらをしているというのは、考えてみればおかしな話ではないでしょうか。それを可能にするために、必要とされたのがこの武士「道」というイデオロギーなのです。つまり武士道とは、実際の「戦士」としての武士が消滅した後に、その身分を道徳ないし美徳という姿でなお確保し、サムライを一種の「司祭」として生き延びさせるために練り上げられた教義というわけです。

キリスト教であれ武士道であれ、「道徳」が世に広める教えは耳に心地よく響きます。まさに今日、「サムライ」という言葉が我らが国民を熱狂させているように。しかし実際にその仮面の背後に込められているのは、特定の者たちに都合の良く作られた利害や権力関係。ニーチェのいう系譜学はそうした道徳の実体を暴き出すことで、「あらゆる価値の転換Umwertung aller Werte/ウムヴェーアトゥング アラー ヴェーアテ)」を可能とするのです。
 

永遠回帰が示す、真の「自然」

Nun sterbe und schwinde ich […] und im Nu bin ich ein Nichts. Die Seelen sind so sterblich wie die Leiber. Aber der Knoten von Ursachen kehrt wieder, in den ich verschlungen bin, — der wird mich wieder schaffen! Ich selber gehöre zu den Ursachen der ewigen Wiederkunft. Ich komme wieder, mit dieser Sonne, mit dieser Erde, mit diesem Adler, mit dieser Schlange — nicht zu einem neuen Leben oder besseren Leben oder ähnlichen Leben: — ich komme ewig wieder zu diesem gleichen und selbigen Leben, im Grössten und auch im Kleinsten, dass ich wieder aller Dinge ewige Wiederkunft lehre, — dass ich wieder das Wort spreche vom grossen Erden- und Menschen-Mittage, dass ich wieder den Menschen den Übermenschen künde.“ ("Also sprach Zarathustra", (Der Genesende 2))
「さあ私は死んで消え去り、(…)たちまち無となる。魂だって肉体と同じく死すべきものなのだ。だが私を巻き込む色んな原因のもつれはまた戻ってくる、‐それは私を再び生み出すだろう! 私自身が永遠回帰の原因の一つなのだ。私は再びやって来る、この太陽、この大地、この鷹、この蛇と一緒に、‐何か新しい人生にでもより良い人生にでも似た人生にでもなく‐私は永遠に繰り返しこの、細大漏らさず全く同じ人生に帰って来る、再びあらゆるものに永遠回帰を説き、‐再び大いなる大地と人間の正午のことを語り、再び人間に超人を告げるために」 (『ツァラトゥストラはこう語った』(回復しつつある者、2))
Nietzsche_Stein

スイス・シルヴァプラーナ湖畔のこの石のそばでニーチェは「永遠回帰」の着想を得たといいます Photographer: Armin Kuebelbeck, CC-BY-SA, Wikimedia Commons

引き続きニーチェの代表作として知られる『ツァラトゥストラはこう語った』(Also sprach Zarathustra/アルゾー シュプラーハ ツァラトゥストラ)より、いわゆる「同じものの永遠回帰die ewige Wiederkehr des Gleichen/ディー エーヴィゲ ヴィーダーケーア デス グライヒェン)」が語られる場面を取り上げましょう。

あらゆるもの、あらゆる瞬間が、永遠に同じ有様で繰り返し生じる。過ぎ去る時間、ありえたかもしれない過去、といった、私たちが一般に持つ時間感覚に対立する教えです。一体何のために、ニーチェはそのようなことを説くのでしょうか?

引用の始めに、「魂だって肉体と同じく死すべきもの(Die Seelen sind so sterblich wie die Leiber.)」とありますが、これはプラトンなどの古代ギリシア哲学、およびそれを引き継ぐキリスト教神学の考えに真っ向から反するものといえるでしょう。肉体は消え去る、されど魂は死後も滅びず、永遠に生き続ける、というのが、多くの宗教が前提とする霊魂不滅説なわけですから。

この霊魂不滅説が人々を古来魅了する理由、それはまさしく人間の本性に備わる「永遠」への憧れに他なりません。この目に見える肉体は老い、朽ちていく。だが目に見えぬ魂はその後も永遠に生き延びるのではないか? その先がたとえあの世であれ転生の先であれ、死と虚無の不安から解放してくれるこの教えが人々の心をつかむことに不思議はありません。

しかし「見えないもの」に価値を置くことは、他方で「見えるもの」をおとしめることにもつながっていきます。来世こそが全て、とする思いは、この目の前にある生、今という瞬間をその派生物に過ぎないものにしてしまう。そして同じことは、過去の神聖化にも該当します。その代表例は先に述べた「道徳」の成立です。系譜学では、道徳の底に秘められた暗い情念により呪縛される生が問題とされました。それはまさに、この今の生が過去によっておとしめられているという状況の診断書でもあるのです。

系譜学が過去の呪縛を暴くことで「この今」を解き放ち、永遠回帰が変わりなく繰り返す「この瞬間」の永遠を告知する。ニーチェが「この今」、「この瞬間」として取り戻そうとしているのは、言葉の真の意味での「自然」な生、つまり「ありのままのこの今を生きる」(自(おの)ずから然(しか)り!)という「今を肯定する生」なのです。来世や別のより良い生、過去や未来といった離れた視点からこの今を肯定しようとすれば、他者によって自己を「然り!」とするありかた、すなわち「他然」に陥ってしまう。だがそんな他者などもはや存在しない、すなわち「神は死んだGott ist tot./ゴット イスト トート)」のだ、と。

生のあらゆる瞬間を「自ずから然り!」と生きる者、そうした者をニーチェは「超人Übermensch/ユーバーメンシュ)」と呼び讃えます。それはその表現に反し神や魂といった「超越」を求める人ではなく、そうした超越に依存せぬありのままのこの生にこそ永遠を認める者をいうのです。

【参照】: Nietzsche Source

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