【ロンドン版『Once』観劇レポート】
ONCE Tour Company(C) Joan Marcus
ロンドンでOnceを上演中のフェニックス・シアター(C) Marino Matsushima
開演10分前になるとキャストが現れ、アイリッシュ・パブさながらのセッション(人々が各自楽器を持ち寄り、ともに演奏して時間を共有するアイルランド独特の文化)が始まりました。通常、アイリッシュ・パブでは伝統音楽が奏でられることが多いのですが、とっつきやすいようにとの配慮からか、この日の演奏曲はカントリー・ウェスタン調の歌が主体。そつなく楽器をこなすキャストの演奏で場がほぐれたところで、ステージ上の観客は客席への移動を促され、気づけば路上に見立てた舞台の一角で、一人の男がギター一本で歌っています。
恋人の心が離れてゆくのを知り、傷つきながらも強がることしかできない男の、心の叫び。陰鬱で、半ばやけっぱちな歌唱から、それが彼自身の内面を歌ったものであることが見て取れます。もうすべてをあきらめたかのように歌が終わり、いいようのない寂しさの中で男はその場を去ろうとする。と、そこに声がかかります。「その歌……あなたが書いたの?」 客席通路にたたずんでいた人影にスポットがあたると、一人の若い女の姿。誰も聴いていないと思っていた歌を、彼女だけが聴いていたのです。「いい曲だわ」。
Stuart Ward and Dani de Waal from the ONCE Tour Company (C) Joan Marcus
大方の時間、パブの壁沿いに並んだ椅子に腰かけているアンサンブル・キャストは主人公たちのドラマにあわせ、周囲の人々を演じたり、おのおの手にしたヴァイオリン(アイルランド音楽ではフィドルと言います)やギター等で演奏をしたり。アコースティックな優しい音色が、友情と愛のはざまを揺れ動く主人公たちの心にぴたりと寄り添い、観客はどんどん前のめりになってゆきます。
観ているうちにふと気づかされるのが、この繊細な舞台表現、ブロードウェイでは「革新的」であったようですが、もともと私たち日本の文化においては文学から近年のドラマ、少女漫画、映画等に至るまで、繰り返し描かれてきた、まさに日本人好みの内容。「曖昧さ」や「以心伝心」を求めてきた日本文化は、近年のグローバル社会においては批判ばかりされて来ましたが、もしかしたら今後の世界をリードすべき可能性を秘めているのかもしれません。(言語学から同様のテーマを論じた新刊に鈴木孝夫著『日本の感性が世界を変える』(新潮選書)があります)。
ONCE Tour Company(C) Joan Marcus
幕切れでは涙をぬぐう観客もそこここに見受けられましたが、席を立つ人々の表情は一様に優しいものでした。観る人の心に小さな、しかし忘れがたい灯をともす作品。もうすぐ、日本にもやってきます。
【来日公演観劇レポート】
『Once』来日公演より。写真提供:キョードー東京
ひとしきり演奏を楽しんだ人々が客席に戻り、芝居が始まると、客席からはしわぶきひとつ起こらず、「Guy」と「Girl」のドラマに集中。(日本のオーディエンスの集中力、素晴らしい!)それにキャストが呼応する形で、絶妙のテンポとメリハリで観客のハートを掴み、いっときも飽きさせません。「Guy」役、「Girl」役ともロンドン版とはかなり(歌い方や「チェコ訛り」の点で)異なり、役者の数だけアプローチも違う作品なのだと感じましたが、最後に切なさと温かさに包まれる点は同じです。
『Once』来日公演、1幕最後の名曲「Gold」のシーン。写真提供:キョードー東京
*次ページで『スリル・ミー』以降の作品をご紹介します!