世界遺産/ヨーロッパの世界遺産

イスタンブール/トルコ(4ページ目)

ローマ時代の遺構や新市街の近代的ビル群がヨーロッパを思わせる一方、活気あふれるバザールや巨大なモスクがアジアを彷彿させる不思議の街イスタンブール。今回はヨーロッパとアジアの架け橋、トルコの世界遺産「イスタンブール歴史地域」をご案内しよう。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

イスタンブールの歴史

ヤソフィアの内部。巨大なアラビア語はコーランの一節をとったもの。天井のモザイクはモスクとして使われていた時代には漆喰で塗り固められていた ©牧哲雄

アヤソフィアの内部。巨大なアラビア語はコーランの一節をとったもの。天井のモザイクはモスクとして使われていた時代には漆喰で塗り固められていた ©牧哲雄

地下宮殿の名で知られる地下貯水池イェレバン・サラエ。コンスタンティヌス帝が建築し、ユスティニアヌス帝が増改築したといわれる。映画『007 ロシアより愛をこめて』の舞台にもなっている ©牧哲雄

地下宮殿の名で知られる地下貯水池イェレバン・サラエ。コンスタンティヌス帝が建築し、ユスティニアヌス帝が増改築したといわれる。映画『007 ロシアより愛をこめて』の舞台にもなった ©牧哲雄

イスタンブールの歴史は古く、紀元前7~8世紀にはギリシアの都市ビュザンティオンが成立していたらしい。当時からこの地はヨーロッパと、エジプトやメソポタミアといったアフリカ・アジアを結ぶ交通の要衝として繁栄していた。

この街が世界の中心都市になるのは、330年、ローマ帝国のコンスタンティヌス帝が首都をローマからここに移し、コンスタンティノープルに改名して以来。395年にローマ帝国が東西に分裂するとビザンツ帝国の首都として、また1054年の東西教会の分裂以降は正教会の中心として、キリスト教世界の頂点として繁栄した。

 

地下宮殿にあるメドゥーサの首。ローマ時代の彫刻が土台として使われているようだが、その意図は不明 ©牧哲雄

地下宮殿にあるメドゥーサの首。ローマ時代の彫刻が土台として使われているようだが、その意図は不明 ©牧哲雄

1453年、オスマン・トルコがコンスタンティノープルを征服すると、メフメット2世はこの地に遷都してイスタンブールに改名。キリスト教の聖地はイスラム教の聖地に書き換えられ、最盛期にはモロッコからエジプト、イラク、東ヨーロッパまでを支配した大帝国の首都として栄華を極めた。

1923年、トルコ共和国が成立すると首都はアンカラに移されるが、330年から1923年までの約1,600年の間、東ローマ帝国とオスマン帝国という超巨大帝国の首都として君臨した。

首都はアンカラに移ったものの、現在もイスタンブールの人口は約900万でトルコ最大。今回紹介したのはすべてヨーロッパ側だが、アジア側にもまだまだ見所はある。イスタンブールは歴史と規模と多彩な文化をとりそろえた、世界でもっともおもしろい街のひとつなのだ。
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