音楽監督の森永さんとはプロジェクト発足直後の
2011年からタッグを組まれていますね。
(C) TOKIKO FURUTA
森永>最初に北村さんとお会いしたのは渋谷のパスタ屋でした(笑)。ダンス作品と関わることはこれまでも多少ありましたが、ここまでコミットすることはない。誰かと作業をするときいつも僕が何に共感するかというと、やっぱりひとですよね。作品をつくることって、自分を出すことでもある。命をかけると言ったら大げさだけど、自分の中身を出し、それをシェアできる相手というのはさほど多くはない。そういう軸があるからこそ、いろいろアイデアを出し合ったり、バトルができるのかなって気がします。
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ジャカルタに行ったり、スラカルタに行ったり、森永さんには一番動いてもらっています。すごくフットワークが軽いし、慣れているので、いろいろな要素を生み出してくださる。違う地域の音楽のつながりや、自然音、環境音と楽曲のあわせ方を考えることから音を聴かせてもらい、こういう世界があるなら次はこう進んでいけないかというように、私は日本にいながらにしてちょっとした地域を飛び越えた旅をしている感じです。
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彼らと話をしているとどんどんマニアックな内容になってしまって、僕も誰かに言いたいけど話すひとがいない(笑)。それを北村さんや山田さんに聞いてもらい、そこからこれはこういう風にしたら面白いんじゃないかと意見を出し合ったり、僕がコンピューターを使ってアレンジしたり、コミュニケーションを重ねながらつくっていく感じです。
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山田>実際に現地に行って、すごく刺激を受けました。インドネシアでは、同時多発的に常に何かが起こってる。一日に何回もイスラム教のお祈りがあるかと思いきや、勝手に道路を封鎖して夜中までガムランをやっていたりする。夕方はそこで子供たちが遊んでいて、そのまま寝ちゃったり。カオスじゃないけど、棲み分けられてない、オーバーラップしていろいろなものがある時間がすごく新鮮だったし、それは行ってみないと想像がつかないものでした。自分の身体がその場に入っていくことが大事だったんだなって感じたし、現地に行ったことでイメージが膨らんで、北村さんの言わんとすることもわかりやすくなった気がします。
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