出会いや環境こそが今のキャリア形成へ影響を与える
出会いや環境こそがキャリア形成へ影響を与えるのです
大学3年の時、転機が訪れました。運よくゼミナール(研究室)に入れたことです。経済学部に在籍しておりましたが、経済学部の掲示板に社会学部のゼミが学部を越えて募集をしていて、「日本の将来を考える」という唯一ピンク色の貼り紙でした。コレだ!と感じ、何も知らずにゼミを受検したものです。
後から聞いた話ですが、当時はゼミの体育会と恐れられていたゼミで、確かに週4回計10コマがゼミの時間でした。週2冊ペース、年間約100冊の文献を読んだものです。ゼミの先生は野田一夫先生でピーター・ドラッカーを日本で初めて紹介した方です。
野田先生とドラッカー氏は一緒に登山もされたほどで、お互いをファーストネームで呼び合うほどの仲だったそうです。最初に会った際に、ドラッカーを「プロフェッサー」と呼んだところ、「俺はプロフェッサーではない。コンサルタントだ」と言ったとのこと、ドラッカーの真骨頂でもある実際性を表したものです。
ドラッカーの著作にはフレームワークで括ったり、体系化することはほとんどありません。経営はあくまでも個別具体的であるということに立脚しています。
野田先生の凄いところはこれだけドラッカーを知っている方なのに一切ドラッカーを商売にされないところです。一切ドラッカーに関する講演や著作物がないのが野田先生の流儀なのでしょう。
野田先生とゼミで初めて会った際のインパクトは強烈なものでした。今までのネガティブな大学教授像からかけ離れた見た目も中身も全てが尊敬できるカッコいい存在でした。
今年87歳になりましたが、財界を中心に各界とのコネクションがあり、今でも引く手あまたです。卒業後も年に数回、元気をいただきにお目に掛かっていますが、距離が縮まるどころかどんどん引き離される感がある圧倒的な存在です。
運のみの出会いもある
さて、自分の師匠である野田先生との出会いは全くの運です。自主運営方式のゼミの体育会ですので、先輩方は面接の際かなりの圧迫質問を浴びせかけられます。喧嘩を売られた感があり、一晩考えた結果入室することを決めたのです。入室後はゼミ生との圧倒的な能力差がありボッコボッコの連続でした。あの時の意思決定は今振り返ると本当に運が良かったと言わざるを得ません。紙一重と言えるでしょう。
その後、米国留学を経て、社会人となり、日本IBMやPAOSなど、強い文化を持つ厳しい環境に身を置いたことは今の自分の礎となっています。
教訓1:
強烈な文化を持つ厳しい環境に一定期間身を置くことが結果的にキャリア開発に繋がると思います。