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ジャズメンと結婚!ジャズにおける夫婦のそれぞれ(3ページ目)

ある意味狭い世界で生きているジャズプレイヤーは、男女の出会いの場もありそうでなかなか……。多くの場合が、同業者か熱狂的なファンと知り合い、結婚に至っているようです。今回は、ジャズと言う特殊な世界で、同業者同士で結婚した3組の夫婦、それぞれのお話をお送りいたします。

大須賀 進

執筆者:大須賀 進

ジャズガイド

 

モダン・ジャズ創世記の偉大な夫婦 シンガーズ・シンガーと称えられたヴォーカリスト カーメン・マクレエとモダン・ジャズ・ドラミングの創始者ドラマー ケニー・クラーク

このモダン・ジャズを代表する大物2人は、モダン・ジャズ発祥の地としても知られるライブハウス、「ミントンズ・プレイハウス」で知り合いました。知り合った当初は、カーメンは駆け出しのピアニスト。一方ケニーはハウスドラマーとして、数々のミュージシャンとの共演をはたしていた花形ドラマーでした。

美人ピアニストと花形ドラマーの2人は、すぐに恋におち、1946年に結婚をします。1946年といえば、まさにモダン・ジャズの始まり、「ビ・バップ」がこの世に登場した時期。

すでにモダン・ジャズ・ドラミングの創始者としてケニーの名声は知れわたっていましたが、カーメンはまだまだジャズ界では認知度が低いミュージシャンの1人でした。後年花開くヴォーカリストとしてではなく、むしろピアニストとしてあまり芽が出なかった時期でもあります。

当時のケニーは絶好調。引く手あまたの存在でした。そんな立場がそうさせたのか、ケニーは1949年についつい浮気に走ります。お相手は、イギリス生まれの美人歌手のアニー・ロスです。そして、2人は一気に愛の結晶まで作ってしまうのです。

アニーは、ヴォーカルとしてはまだまだこれからという時期にあたりました。その結果、生まれてきた子供をケニーに預け、2人の関係を清算して、ヴォーカルとしての仕事に走ってしまいます。

浮気相手から、子供まで押し付けられた当時のカーメンの気持ちを理解するのは難しいかもしれません。そして、おそらくは針のむしろだったケニーの心中も計り知れないものがあります。それでも2人はこの後、6年後の1956年まで夫婦を続けました。

そして夫のケニーは離婚後、新天地ヨーロッパへ移住。妻のカーメンはいよいよヴォーカルとして本格的にデビューすることになったのです。今となってみるとこの離婚は、結果として2人の可能性を広げ、2人の音楽での目覚ましい飛躍の要因となりました。

カーメンの歌には、耐えた妻、そして女としての人生の深みがあり、それが聴く者の心を打つのです。また、カーメンはそのピアニストとしての活動から得られた、ジャズに対する深い理解力がありました。そしてその知識を、歌のテクニックに活かすことができる、いわゆる上手いヴォーカルでもありました。そのテクニックの冴えが聴くことができるアルバムがコチラです。
テイク・ファイヴ

テイク・ファイヴ

「テイク・ファイブ」より「テイク・ファイブ」
この曲「テイク・ファイブ」はジャズ界のみならずポップスの世界でも売れに売れた有名曲です。五拍子のピアノの有名なイントロに続き、アルトサックスのポール・デスモンドによるこれまた有名なテーマは、誰もが一度は聴いたことがあるはずです。

この難曲を見事カーメンは、歌いきっています。伴奏も豪華にオリジナルのデイヴ・ブルーベック・カルテットによるもの。ライブの雰囲気も楽しい、聴きごたえのあるアルバムになっています。

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一方の夫のケニーは、ヨーロッパへ行ってからも大活躍です。各国から集まったジャズミュージシャンを束ねて、モダン・ジャズ・ドラマーの第一人者として確固たる地位を築いていきます。その代表作がこちらです。
ジャズ・イズ・ユニヴァーサル

ジャズ・イズ・ユニヴァーサル

「ジャズ・イズ・ユニヴァーサル」より「ラスト・トレイン・フロム・オーヴァーブルック」
この「ジャズ・イズ・ユニヴァーサル」は新天地を求めてパリに移り住んだケニーが、ベルギー人のピアニスト、フランシー・ボランと出会い、初めて自身の念願のビッグ・バンドを持ち録音した記念すべきアルバムです。

題名通りに各国の精鋭が集い、アメリカ生まれのジャズがユニヴァーサルな音楽へと飛躍していくにふさわしい出来栄えになっています。

この後、ケニーとフランシーは盟友として2人でビッグバンドを運営し、クラーク=ボラン楽団はヨーロッパを代表するビッグバンドへと成長していきます。

この曲「ラスト・トレイン・フロム・オーヴァーブルック」は、そんな2人の門出を祝うような最高に楽しくスウィングする、このバンドの真骨頂です。

このように、カーメン、ケニーともに、それぞれの道を歩み、それぞれが音楽の世界では偉業をなしますが、2人が夫婦でいた10年間は、2人にとってどのような思い出を残したのでしょうか。

浮気がもとで、子供を得たケニーと、自身はケニーとの間に結晶をなすことがなかったカーメン。それぞれが複雑な思いを抱えていたのは、想像するに余りあります。

カーメンはジャズの女性ヴォーカルの世界では、前述のファースト・レディ、エラ・フィッツジェラルドとジャズヴォーカルの唯一神とも言われたサラ・ヴォーン、との御三家と言われるほどの名声を得ました。そのことは、誰もが認める偉業です。

ケニーが晩年になってフランスの「ジャズオット」という雑誌の取材に答えた言葉があります。

「わたしは、エラ・フィッツジェラルド、それにサラ・ヴォーンと一緒にプレイするのが好きなんだ。一緒に仕事ができるようにと、いつも働きかけていた。」

仲が良い時には、ケニーは喜んでカーメンの伴奏を務めていました。そのケニーにして、この言葉は、複雑な思いを抱かせます。ここにカーメンの名前を出してほしかったと思ってしまうのは私だけではないはず。犬も喰わないと言われる夫婦ゲンカ。本当の2人のことは、2人にしかわからないのかもしれません。

今回のジャズミュージシャンの夫婦にまつわるいろいろなお話、いかがでしたか?終生幸せに添い遂げた夫婦もあれば、離婚後も良好な関係を持てた夫婦、そしてそうでない夫婦。それぞれに人生のドラマを感じます。

そして、様々なドラマを知った上でジャズを聴けば、さらに味わいの深いものだと思います。また、次の機会にもジャズミュージシャンそれぞれの恋愛や夫婦についてご紹介しいたします。それでは、また次回お会いしましょう!

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