Le Logoscopeではどのような活動をされているのでしょう?
(C) TOKIKO FURUTA
モンテカルロ・バレエ団のディレクターのマイヨーが毎年私たちダンサーに振付をする場を与えてくれるんですが、そこでは振付だけでなく舞台美術をつくるセノグラファーとコミュニケーションを取りながら創作をする必要があって。セノグラファーは舞台の専門家ではあるけれど、ダンスの目線ではない。彼らと会話をするのがすごく楽しくて、もっともっと出逢っていきたいと思ったのがLe Logoscopeに入ったきっかけでした。
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例えばライティングもダンスのひとつであって、そこには照明さんが必要になる。いろんなひととの関わりがあって初めて、こういう舞台がつくれるんだということを知った。そうした経験を経たことで、自分が踊っていても違う感覚が持てるようになりました。ただ踊っているのではなく、こういうひとたちとの関係の中で踊ってるんだと。
踊りだけだったら、つま先がどうの、手の位置がどうのということを中心に考える。もちろんそれはすごく大切だけど、観客にとってはつま先がどうというよりも、舞台全体が重要なんだと……。ダンスだけでは舞台は成り立たない。そこに気づけたのはクリエイションをしていく上ですごく役に立ったし、裏方さんがいなかったらできないんだ、みんなでつくっていかなきゃ舞台は成り立たないんだということを自覚しました。
またLe Logoscopeで違うジャンルの方々と関わりを持っていると、音楽家やセノグラファーが舞台を観に来てくれたりもする。ダンスという違う表現の仕方があるんだっていうことを、少しずつ伝えてゆく。他のジャンルの方に“こんなものがあるんだ”って興味を持っていただくことにも繋がってる。そういう部分も含めて、やっぱり広がっていったらいいなという気持ちはありますよね。
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もともと舞台美術や衣裳にも興味があったのでしょうか?
小池>やはりそういう部分はありました。母が画家で、父が建築家なので、小さい頃から物をつくることが私にとっては普通だったし、クリエイ ティブな部分は昔から持っていたと思います。家を設計するにはまず模型が必要になるんですけど、それが小さい頃からすごく好きで。舞台装置を決めるときもやはり模型をつくるんですが、自分でそれに光をあてて、こういう風に動いたらこんな影ができるんだ、といろいろ試すのが好きだったりする。そこに興味を持てたのは、やはり両親のお陰だと思います。時間さえあれば、何かしら物をつくっています。以前ケガをしてダンスを休んでいたとき、5週間で54枚キャンバスに絵を描いたり、いらないジーンズを何本か切ってスカートをつくったりしてました。私の場合、そうやってエネルギーを発散させる必要がある。もちろん吸収も必要で、そういう意味でも周りとのコミュニケーションがある方が私は仕事がしやすいし、楽しさが生まれる。ひとりで絵を描いているのもいいけれど、ひととコミュニケーションをして何かをつくっていく喜びが一番感じられるのがこうしたプロジェクトなんです。
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