ラジオから流れてきた音楽
ガイド:東ドイツ時代にはどのような音楽を聴いていたのですか? 東ドイツの人々は資本主義陣営の音楽、例えば、Ata TakやZick Zackなどからのノイエ・ドイチェ・ヴェレなんかを聴く事はできたのですか?
フランク:
実際のところ、僕は、Beatles、Rolling Stones、The Who、Pretty Things、The Doors、The Animals、CCR、Jimi Hendrix、Pink Floyd、Grateful Dead等の英米のロックミュージックを聴いて育ちました。後に、ジャズ、プログレ、電子音楽、現代音楽も。初期において僕に影響を与えたのは、Miles Davis、King Crimson、Frank Zappa、Soft Machine、Tangerine Dream、Agitation Free、Can、Bela Bartok、Pierre Henry、Igor Stravinsky、Claude Debussy等です。
しかし、それらのアーティストたちのレコードを買う事は出来ませんでした。代わりに、ラジオが主要な方法だったのです。西ドイツのラジオ局へのアクセスは簡単で、それぞれの種類の音楽でかなり良い番組をやっていました。局によっては、東ドイツのリスナーのために音楽をテープに録音できるように特別はサービスをしてくれました。実際、みんなテープレコーダーを持っていて、僕は、音楽を聴き、テープ録音するために時間を費やしていました。もちろん、ニューウェイヴがやって来た時、僕も興味があって、Throbbing Gristle、The Residents、Cabaret Voltaire、Suicide、The Art Of Noise等は特に。西ドイツにもOKなものはあって、例えば、Din A Testbild、Ideal、Sprung Aus Den Wolken、Foyer Des Arts、Trio、Einstürzende Neubauten等。
ガイド:
日本の音楽についての情報を得る事はできましたか? ニューウェイヴやテクノポップ系という意味ですが。
フランク:
当時、残念なことに、日本の音楽についてはちょっとしか知りませんでした。例えば、喜太郎、ツトム・ヤマシタ、そしてクラシックの電子音楽的アレンジで有名だった冨田勲とか。テクノポップでは、YMOしか知りませんでした。
音楽活動のきっかけ
ガイド:でも、YMOが知られていたとはなんだか感激します。
何があなたの音楽家としての最初の試みだったのですか? その動機は?
フランク:
1983年に音楽活動を始めました。実際、やってみて、どこまで出来るか試してみるために。僕は正式な音楽教育を受けた事がありませんでした。画家を生業とする事に憧れていて、美術を専攻していました。ただの音楽ファンで、自分が好きな音楽を作ってみたかったのです。だから、最初の作品はテープのループを元にした短い曲でした。僕の最初のカセットテープは、『Scombermix』。Kriminelle Tanzkapelleとしての『Glückliche Jahre(「幸福な年月」という意味)』は、2作目でした。
こちらにインタヴューがあります。
In the studio with Frank Bretschneider