2012年に続き、パレスチナの緊急登録申請物件の記載が決定
2011年10月にUNESCOに加盟し、2012年に緊急に登録・保護が必要な物件ということで「イエスの生誕地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路」を登録したパレスチナ。これらに反発し、UNESCOの政治的プロセスを非難したイスラエルとアメリカは拠出金を停止し、2013年11月にはUNESCOの投票権を喪失した。今回パレスチナは「オリーブとワインの土地パレスチナ ~南エルサレム、バティールの文化的景観」において、ふたたび緊急登録を申請。ICOMOSは事前調査を行って、緊急である必要性が低いとして世界遺産リストへの「不記載」を勧告していた。
これに対して世界遺産委員会はリストへの記載を承認。ベツレヘムのときと同様、逆転登録に成功すると同時に危機遺産リストへの記載が決定した。
今回の登録範囲はイスラエルによる分離壁の建設予定地であり、それが緊急保護や危機遺産リスト入りの理由でもあることからイスラエルやアメリカの反発は必至だ。
これでパレスチナの世界遺産は、所有国がはっきりしない「エルサレムの旧市街とその城壁群」を除いて2件目となった。
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危機遺産リストの変更点
標高4000mの高所に造られたポトシ市街。背後の山が「人を食う山」と恐れられたセロ・リコ銀山で、一説では先住民労働者800万が犠牲になったといわれる
特に注目されていたのがオーストラリアの世界遺産「グレートバリアリーフ」で、港湾や天然ガス・プラントの開発によるサンゴ礁の破壊が懸念されて危機遺産リスト入りが検討されたが、オーストラリア側からの改善提案もあり、結論は来年の世界遺産委員会に持ち越された。
<危機遺産リストから削除された物件>
■キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群
サンゴと石を組み合わせて造られたキルワ・キシワニのグレート・モスク
古代から、夏は東アフリカからアラビア半島へ、冬はアラビア半島から東アフリカへ吹きつけるモンスーン(季節風)を利用したインド洋交易によってアフリカと中東・南アジアを結んで栄えた港市キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラ。本物件はその遺跡群だが、2004年に海水や潮風などの浸食による遺産の状態悪化と管理・保護体制の不備によりリスト入りした。今回そうした状況が改善され、保護体制も整ったことから危機遺産リストから削除された。
<危機遺産リスト入りした物件>
■オリーブとワインの土地パレスチナ ~南エルサレム、バティールの文化的景観
Palestine: Land of Olives and Vines - Cultural Landscape of Southern Jerusalem, Battir
パレスチナ、文化遺産(iv)(v)
今回の世界遺産委員会で緊急登録されると同時に危機遺産リストに掲載された。解説は後述のリストにて。
■ポトシ市街
ボリビア、1987年、文化遺産(ii)(iv)(vi)
16世紀、セロ・リコ銀山で発見された世界最大の銀鉱脈はヨーロッパにインフレを引き起こし、商工業の発展と資本経済化をもたらした(価格革命)。そして銀を精錬するために造られた鉱山都市がポトシだ。坑道などは劣化もあって落盤・崩落の危機に直面しており、細々と続く採掘によって崩壊が促進され、環境破壊も懸念されている。また、関連法の整備も不十分であることから危機遺産リストへの記載が決定した。
■セルー・ゲーム・リザーブ
タンザニア、1982年、自然遺産(ix)(x)
アフリカ最大級の登録範囲を誇る世界遺産で、ジャングルや森林をはじめ、ミョンボと呼ばれる乾燥林、湿地、河川や湖沼など種々の生態系を有し、ゾウやサイやカバ、チーター、キリンをはじめ多くの野生動物が暮らしている。近年密漁が横行しており、絶滅危惧種も含めた動物の数は急速に減り、種によっては90%も減少。UNESCOはタンザニア国内の密輸マーケットや輸入先なども訪れて調査を行っており、今回のリスト入りとなった。
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