設立から10年が経ち、Noismの存在は舞踊界に浸透し、間違いなく日本の舞踊史に残る。しかし、一般にはまだまだ伝わりきっていないのを感じます。
その認識を変えようという想い、広く浸透させたいという意識はありますか?
金森>どうでしょう……。ひとりでも多くのひとを巻き込もうとすると、結局大衆性ということになってくる。この国って、エンターテインメントに対する文化がすごく発達してますよね。テレビにはじまり、商業ベースの舞台に何万人も集まる土壌がある。もちろん沢山の方に知って欲しいし観て欲しいけど、気をつけなきゃいけないなとも思う。我々がやってる表現は一般大衆化するものではないと思うし、限られた専門性を受容する器があるから今新潟でやれている訳で、その器が日本にないならNoismはなくなるだけの話。Noismとしての活動が評価されて広がっていくのはいいけれど、広がるために活動自体を変えたら最終的には何の意義もなくなってしまう気がする。我々には我々の成すべきことがあると思うんです。
『SHIKAKU』(2004年)
撮影:篠山紀信
舞踊家って寿命がある世界。世界のどこを見ても、だいたい40歳くらいでリタイアしてる。そういうシビアな世界なんだということが大前提にあって、そういう文化をどうサポートしていくか世に問わなきゃいけない。そのためにも、Noismとしては慣れで作品をつくったらいけないし、毎シーズン毎シーズン舞踊家の質を提示してかなければいけない。
もし本当に芸術というものを志すのなら、何かが認められて、存在することが楽になった瞬間が一番気をつけなきゃいけない。今新潟にNoismがあることが当たり前になってきているからこそ、安住せずに闘わなゃいけない。“こんな危険な集団はいらない”とか“こんな理解のない集団はいらない”というような活動をしてもなお、新潟が“それでもやりましょう”となったら意義があると思う。だけど適度な注目を集めて、何の害もなく、ただ新潟の観光資源や土産物のような存在になるのだけは絶対に避けなきゃいけない。それは自分に対する戒めだし、舞踊家たちに対してもそう。
自分も無知だったころは、行政のものすごく頑丈な壁にバンバンぶつかってた。でもだんだんぶつかることにも慣れてくるし、ぶつかり方もわかってくると、へんに大人になってしまうというか……。そうするとエネルギーが停滞してくるから、丸くなった角を自分でもう一度尖らせてぶつからないといけない。例えばNoismという活動において、金森穣という存在が芸術性を害してるとみなされて自分がクビになる、それくらいの組織であって欲しい。舞踊家も長くいるから安泰だと思ったらいけない。同じ土俵に立ってクオリティで勝負したときに輝けるひとは、若かろうが年上だろうが関係ない。今の環境に甘んじちゃいけないということ。
明日にでも新潟市から“Noismは辞めることになりました”と言われることがあるかもしれない。あるいはこちらから"辞めさせていただきます"と言うかもしれない。実際この10年で何回か本当に辞めるギリギリまでいった。その都度理解してもらったり、外から評価されたりしてなんとか持ち堪えてきた。緊張感を忘れた頃が危ないと思っているから、常に自分をギリギリのところに置いています。明日終わるかもしれない状況で、今日できる限りのことをやろうという、その繰り返しでしかない。先のことを見据えてはいるけれど、同時に明日で終わるかもしれないと常に思ってはいる。
見世物小屋シリーズ第2弾『Nameless Poison ~黒衣の僧』(2009年) 撮影:篠山紀信