幕開け公演は『SHIKAKU』。
2004年の初演時、作品は大きな評価を集めました。
金森>当初からそうだけど、自分が求めているのは作品単体の評価じゃないんですよね。それこそどんなマスターにも、いい作品もあれば悪い作品もあったりするもの。もちろんいいもの、みなさんが喜んでくれるものをつくりたいし、一生懸命やってるけれど、重要なのはその次なんです。作品が評価されて、やっぱりレジデンシャル・カンパニーになるとこれだけのものができるんだと認められ、他の都市にも劇場専属の舞踊団ができてほしい。給料をもらって、朝から晩まで舞踊に向き合って、この国から世界に発信できる舞踊芸術を発信して、その活動場所としての劇場文化を築きたい。
世界で勝負できるクオリティのものを日本でつくりたい。またそういう舞踊家を日本の中から育てたいし、日本で頑張ってる子たちがそういう恵まれた環境、夢を持てる環境をつくりたい。いろんな面倒臭いことを乗り切れる夢があるとしたら、結局そこなんです。最初からその一心ですよね。
『SHIKAKU』(2004年)
撮影:篠山紀信
Noismの誕生により、舞踊家の目指す場所ができたのも事実では?
金森>そうかもしれない。でもNoismは自分が芸術監督であるかぎり、金森穣の芸術性とか活動の方向性に共感しないと意味がない。それが一番の問題だと思っていて……。この国にもいろんな振付家がいて、いろんな作風があって、いろんな劇場専属舞踊団の在り方が必要。他に選択肢ができてはじめて、NoismがNoismである理由が明確になるんです。『solo for 2/中国の不思議な役人』(2012年) 撮影;篠山紀信