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設立10周年!金森穣が語るNoismの過去と未来<前編>(4ページ目)

2004年に日本初の劇場専属舞踊団として新潟に誕生したNoism。3年ごとの契約更新を繰り返し、2014年4月をもって設立10周年を迎えました。ここでは、芸術監督の金森穣にインタビュー! 設立のきっかけから現在までの道程、今後の構想をお聞きしました。

小野寺 悦子

執筆者:小野寺 悦子

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Noism結成にあたり、オーディションを新潟と東京、大阪で行っています。何を基準に舞踊家を選びましたか?

金森>明確に数値化できるものじゃないけれど、舞踊家としての技術的なレベルはもちろん、個人的に興味をひかれる個性だったり、色気だったりというのを見ました。あともうひとつ重要なのは、集団性。ひとつのまとまりで見たときのバランスは重要なので、身体的な特徴も含めいろいろなバランスを考えました。

井関佐和子にしても、Noismを立ち上げる直前にやったプロジェクト『no・mad・ic project』(※金森穣が手がけたダンス・プロジェクト。金森、井関佐和子をはじめ10名の舞踊家が参加し、2003年にアート・スフィアで上演された)に出ていた舞踊家たちも、みんな平等にオーディションを受けてもらいました。プロジェクトで2ヶ月間クリエーションを共にした仲間であろうとシビアに切る訳だから、やっぱりこっちも辛い。でも、情だけじゃいけない。今いるひとたちの中で、ベストは何かを考えなければいけない。それは指揮官としての定めですよね。

日本で初めて立ち上がる劇場専属舞踊団で、新潟市がお金を出してこれだけの環境を整えてくれた。そこに見合う舞踊家を揃えなきゃいけない。そうしたらやっぱり、知ってるからとか仲が良いからという情の部分とは一線を引くし、関係なく集めました。

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『sense-datum』(2006年)
撮影:篠山紀信

 
 

オーディションの手応えはいかがでしたか?

金森>オーディションをしたところで、自分の求めるレベルの舞踊家が来ないのはわかっていました。東京に帰ってきてからワークショップもしたし、『no・mad・ic project』もやったけど、決してそこに出ていた舞踊家たちに満足はしていなかったから。ただみんな一生懸命やってくれたし、同じ舞台を共有したという意味では有意義だったけど、もっと時間をかけて稽古すればもっと良くなることはわかっていた。でも佐和子に言わせれば、金森穣にとって「満足のいく舞踊家」なんていうものはどこにもいないだろうと……。

例えばヨーロッパで活躍しているひとたちを離れた場所から“素晴らしい舞踊家だ”とは言えるけど、自分が実際彼らに振付けたときに“こいつはいい!”っていうひとはあなたにはいないでしょうと。そういう意味では確かにそうかもしれない。リスペクトしてる舞踊家たちでも、自分が求めるものを彼らができるかというとそうではない。あるいは彼らがすでに持っているもので自分が満足できるかといったらそうではない。やっぱりそれは、創作を通して、今までみたことがないもの、出会ったことのない彼らに出会いたいのであって、今までよりこれからなんです。


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『ZONE ~陽炎 稲妻 水の月』(2010年) academic / nomadic / psychic 撮影:鹿間隆司


 

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