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ダンサーズ・ヒストリー イデビアン・クルー 井手茂太

ダンスカンパニー『イデビアン・クルー』の主宰であり、自身もダンサーとして活躍する井手茂太さん。カンパニーでの活動のほか、演劇やミュージックビデオ、CMなど、多彩なジャンルの作品を手掛ける超売れっ子振付家です。彼がダンスの道を志したきっかけとは……。ここでは、井手さんのダンサーズ・ヒストリーをご紹介します。

小野寺 悦子

執筆者:小野寺 悦子

バレエガイド


美容師一家に生まれて

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 井手孤独【idésolo】
(C)青木司

九州・佐賀県生まれ。焼きものが盛んな土地で、父親も陶芸に携わっていた。井手さんが子供の頃は家に大きなガス窯があり、素焼きの日には徹夜での作業が続いたという。
「子供の頃はそれが楽しくて、親父の傍で深夜1時・2時まで一緒に頑張って起きてたことも。親父はとにかく無口で、仙人みたいな性格。あまり商品はつくってなくて、今思えば作家性の強いひとだったのかもしれない。大きな壺や大皿をつくっては、個展に出品することもありました」

一方、母親や叔母をはじめ、母方の親戚は一同美容師という美容一家。美容室での仕事に加え、週末や祝日になると婚礼に呼ばれては、一家総出で仕事をしていた。大人たちが出かけている間、井手さんら子供たちは自宅で留守番。毎週のように大人たちが土産に持ち帰る婚礼の
引き出物が、今でもちょっとしたトラウマになっているそう。
「海老と蟹、赤飯が苦手。おそらく食べ過ぎてアレルギーになったんだと思います。小分けして毎日のように食べてたので、引き出物にはあまりいい思い出がなくて。今考えれば贅沢だけど……」

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   『notitle』

7歳上の姉と2歳上の姉を持つ三人兄妹。一番上の姉が日舞を、二番目の姉がバレエを習っていた。井手さんはというと、姉の送り迎えをする父の車に同乗しては、毎週のように稽古を見学していたという。
「僕だけ習わせてもらえなくて。田舎なので、“男の子が踊りなんて”っていう感じだったんです」

美容室を閉めた後、店は子供たちの遊び場になった。椅子を片付け、鏡の前でラジカセをかけては踊る。即席のダンススタジオで、井手さんはもっぱら姉の相手役を努めた。
「竹の子族みたいなロックっぽい踊りが流行っていて、男の人が女の人を脚の間から滑り出したりしてた。僕はよく姉にその相手役をさせられてましたね。いつもお店で遊んでは、よく親に怒られたのを覚えています」

ふたりの姉にインターンと、女性たちに囲まれ育った子供時代。当時はシャイで大人しく、どちらかというと無口なタイプの少年だった。ただ、少年野球に憧れ、チームの門を叩いたともある。
「でもユニフォームを着た瞬間に満足して、すぐ辞めちゃった(笑)。剣道もそうでしたね。何かやってみたいって気持ちはあったんだけど、実際やるとこんな感じなんだって納得して辞めることが多々あった気がします」

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 井手孤独【idésolo】 
(C)青木司

美容室は婚礼の需要が多く、貸衣装も扱っていた。スタッフが着付けのコンクールに出場するたび、よくモデルにかり出されていたという。
「子供の頃から肥満児だったので、お腹周りがしっかりしててちょうどいいんです。小さいから台の上に立たせられて、もうなされるがまま(笑)」

井手作品には、着物やカツラといった和装がしばしば登場する。例えば『IDEVIAN LIVE』、『井手孤独【idésolo】』、『排気口』など。
「やっぱり、子供の頃の記憶が影響してる部分があるのではと……」

実際、実家から着物やカツラを舞台の衣装用に借りたことも。和装の扱いもすっかり手慣れ、今では帯結びや着付けもこなす腕前だ。
「実際は帯枕が必要だけど、踊るときは邪魔になるから、それっぽく見えつつ踊れるような独自の結び方を母親が考えてくれて。僕もやってみて初めて奥が深い、面白いと思った。これはもっと世の中に知らせるべきだと。着物で踊ること自体が面白いっていうのもあるけれど、実は“結び方が違うんですよ”っていうのをさりげなく伝えてるんです(笑)」

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『排気口』(C)青木司



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