フエの歴史 1. グエン朝の誕生と滅亡

フラッグタワー

午門の正面に立つ高さ約30mのフラッグタワー。3つの壇はそれぞれ天・地・人を示し、皇帝が神から天啓を受けて地と人を治めることを示している

大砲

ザロン帝が設置した大砲。フラッグタワー近くにあり、王宮を守護している

グエン朝を築くのはグエンフックアイン(阮福暎)だ。阮氏はベトナム南部の名家で18世紀には広南国を開いていたが、北部を治めていたレ朝(黎朝)に滅ぼされてしまう。グエンフックアインは海外に逃走したのち、フランスやタイの支援を受けてベトナムに帰還。1802年にフエを首都に定めて阮朝を建国し、一気に勢力を広げてベトナムを統一する。

1804年には中国の清朝から越南王に封ぜられるが、自らは「王」を束ねる「皇」を名乗り、清の皇帝に並び立つ者として「ザロン帝」と称した。1805年にはフランスで建築学を修めたレーヴァンホク(黎文学)にヴォーバン式と呼ばれる堅固な星型城郭を築かせ、この中に北京の紫禁城を4分の3に縮小した王宮を建設する。

 

王宮・午門

王宮・午門。1945年、バオダイ帝はここで皇帝位の廃位を宣言した

フランスとタイの協力で建国されたグエン朝だが、フランスは次第に介入を強め、タイとはカンボジアの領有を巡って対立した。第2代皇帝ミンマン帝はフランスと断絶し、タイとも戦闘を行ってベトナムの力を見せつけるが、勝利を収めることはできなかった。

第4代皇帝トゥドゥク帝の時代にフランスがベトナム中部の都市ダナンを攻略。助けに入った清も加わって戦闘を繰り広げたが(清仏戦争)、フランスが勝利してグエン朝はフランス領インドシナに組み込まれることになる。

第一次世界大戦後にホーチミン(胡志明)ら共産主義者による独立運動が活発化。第二次世界大戦で日本がベトナムを占領すると、一時はフランスを追放してバオダイ帝(保大帝)を立ててベトナム帝国を建国するが、日本の敗戦を受けてバオダイ帝は1945年に退位し、グエン朝は滅亡した。

 

フエの歴史 2. ベトナムとフエを巡る戦争

カイディン帝廟の玉座

カイディン帝廟の玉座。フランス領インドシナの下に入るグエン朝後期、派手な皇帝廟や庭園は造られなくなったが、カイディン帝は洋の東西の芸術文化を結集して陵墓を築いた

龍珠廟

ザロン帝がゾウを飼育していた龍珠廟。ゾウは東南アジアにおいて皇帝の象徴のひとつ

1945年、ホーチミンはベトナム民主共和国の独立を宣言し、東南アジア初となる社会主義国が誕生。これに反対するフランスとの間でインドシナ戦争が勃発する。

フランスは1949年にサイゴン(現在のホーチミン)を首都とするベトナム国を建てると、中国とソ連が支持する北ベトナム(ベトナム民主共和国)と、フランス・アメリカ・イギリスが支持するベトナム国の代理戦争の様相を呈した。この戦いは1954年に停戦を迎え、ベトナムは北緯17度で分割されることになる。

1955年、アメリカの支援でベトナム国はベトナム共和国(南ベトナム)に改名。その南ベトナム内で1960年に反米・反資本主義を掲げる南ベトナム解放民族戦線(ベトミン)が結成されると、南ベトナム政府との間でベトナム戦争が勃発する。北ベトナムがベトミンを支援する一方で、アメリカが1965年に南ベトナム側について参戦して北爆を開始。北ベトナム軍とベトミンはジャングルに潜んでこれに対抗した。

 

虎園

皇帝がゾウとトラを戦わせた闘技場、虎園。ほぼ毎回ゾウが勝利したという

1968年の旧正月にあたるテトの日の早朝、北ベトナム軍とベトミンは正月休みで眠りに就いていた南ベトナムに対して大攻勢を仕掛ける(テト攻勢)。最大の標的はフエとサイゴンだ。

この攻撃によりフエの街は破壊され、南ベトナムの多くの関係者や知識層が虐殺された(フエ事件)。サイゴンでもアメリカ大使館が一時占拠されたが、アメリカ軍と南ベトナム軍はすぐに反撃を開始。特にフエでは都市部に対する爆撃を行い、街は市民もろとも爆破され、壊滅的な被害を受けた。

この戦いはTVで中継され、凄惨な映像がアメリカ本土に届けられた。結局テト攻勢で北ベトナム軍は敗れ去り、ベトミンは崩壊したが、アメリカでは反戦の気運が一気に高まり、1973年の撤退・敗戦へつながる転機となった。

 

17世紀に築かれた北京の紫禁城はいまでも豪壮な姿を誇っているが、フエの王宮はその多くが破壊されてしまった。世界遺産「フエの建造物群」はグエン朝期の王宮文化の証拠であると同時に、東(共産主義)と西(資本主義)の戦いの爪跡であり、ベトナム人同士で殺し合いを演じた重い十字架でもある。