将棋の持つベンチャー性とトヨタ
横綱はどっしりと受ける。相手がどんな技で来ようとも、しっかりと受け止める。だが、挑戦者は攻めねばならない。企業で言えばベンチャーが受けに回っていては、勝負にならないのだ。そして、将棋という競技はベンチャー精神をベースとしているのである。実は、全ての駒は、攻める性質を持っているのだ。将棋では、後方へ動けるマスの数が、前方のそれより多い駒は存在しないのである。かろうじて、「王」「飛」「角」が前後に同じマス数だけ動けるが、「歩」「桂」「香」に至っては、まったく後ろへは下がれないのだ。敵陣めがけて突入するのが将棋駒が持つ特性なのである。
かように、ベンチャー精神旺盛な駒達が躍動するのが将棋だ。そして『リアル車将棋』は、まさしく史上初であり、突拍子もない攻めと言えるイベントなのだ。王道を歩んできたトヨタが、このベンチャー・イベントに乗った。しかも、真剣にである。すでに述べたようにトヨタは40台を用意し、早稲田大学の自動車部部員と自前のテストドライバーに事前研究を課した上で、このイベントを託したのだ。
何故の真剣さか。ふと思う。世界的な不況が懸念される今、横綱トヨタはベンチャーたらんとしたのではないか。なりふり構わぬ、言わば新弟子のような相撲をとろうとしたのではないか。トヨタは、勝つ気ではなく、ぶつかる気の勝負に出たのだ。
あっ!私は、かつて何度も耳にしたあのフレーズを思い出していた。
大きいことはいいことだ
「大きいことはいいことだ」……。50代以上の人は耳に焼き付いているだろう。我が国初のオリンピック開催という興奮が冷めぬ昭和40年代。このフレーズが日本中を席捲した。小さな幸せを目指してきた国民に、大股な経済成長を実感させることになったこのフレーズ。実は菓子メーカーの森永が発信元だ。森永は従来の板チョコよりも大きな商品を世に問うた。エールチョコである。もちろん、コマーシャルを打つ。広まってきたカラーテレビを通じ、森永は、実に1000人を超える合唱団を組んで歌わせたのである。いわく「大きいことはいいことだ」。当時、ひょうきんで明るい指揮者として人気を博していた山本直純が、指揮棒も折らんばかりに元気よく画面に踊る。この壮大なコマーシャルは、私たちの度肝を抜いた。
森永は自社の「ハイクラウン」というヒットチョコを持ちながら、さらに大型のチョコをぶつけたのである。だから、同時代を生きた私たちは知っている。これこそが「本物の景気」だということを。それは怒濤のように押し寄せた。昨今のようなデフレ対策だ、円高是正だ、などという経済政策などとは次元の違う「本物」が大きく手を広げたのだ。
トヨタの巨心
おそらく……。おそらくトヨタは本物の景気を作ろうとしたのではないか。将棋という40センチ四方の世界を、ドームという巨大なステージに乗せる。その壮大さが今のトヨタ・スピリットを体現するものだったのではないか。だからこそ、この突拍子のない、言葉を悪くすればバカバカしい土俵に、トヨタという横綱が上がった。西武ドームに再現された「大きいことはいいことだ」……これは、ただ単に物体そのものの大きさを謳っているのではない。その裏にある精神性の大きさを謳歌しているのだ。目を引く巨盤に巨駒。だが、そのバカバカしさに、果敢に挑む精神性こそ巨大なのである。
造語を許してもらうならば「巨心」だ。トヨタの巨心はきっと大いなる景気を生む。余談を語らしていただきたい。たまたまだが、森永の既存チョコもトヨタの名車も「クラウン」の名を有していた。そして、クラウンを持つものは「王」そのもの、つまり将棋駒の頂点なのである。
トヨタに期待するもの
私は、将棋ガイドとして、このトヨタの取り組みに感激だけではなく感謝をしている。そして、願う。世界のベンチャー横綱トヨタよ。できうるならば、「角行」のように斜めに進める車を造ってほしい。「飛車」のように一アクセルでどこまでも進む車を造ってほしい。「桂馬」のように前の車を飛び越していける車を造ってほしい。さらに願う。その車たちに、駒の名を着けてはくれないか。トヨタ・ヒシャ。響きも良い。いかがであろうか、ベンチャー横綱。2015年2月8日は、将棋ファンにとって忘れ得ぬ日となった。
その日……。
「大きいことはいいことだ」。
私は心の中で歌いながら、小さな盤面に詰め将棋を解いてみた。
追記
「敬称に関して」
文中における個人名の敬称について、ガイドは下記のように考えています。
(1)プロ棋士の方の活動は公的であると考え、敬称を略させていただきます。ただし、ガイドが棋士としての行為外の活動だと考えた場合には敬称をつけさせていただきます。
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