フマユーン廟の歴史 2.王妃ハージ・ベグムとムガル美術
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フマユーン廟の西ファサード(正面)。東西南北の正面中央にはイーワーンと呼ばれるイスラム建築特有の門&ホールが設置されている
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中央墓室。下にあるのがセノタフと呼ばれる石棺。偽装の棺で、本物の石棺はこの地下にある ©牧哲雄
フマユーンの死を嘆き悲しんだ王妃ハージ・ベグムは、ヤムナ川の畔に愛する夫の棺を収める墓廟を建設する。これがフマユーン廟だ。
芸術を愛した夫に捧げるために、廟はペルシア美術とインド美術の粋を集めて建設された。フマユーンはイスラム教徒だったし、当時科学と芸術の最先端は中東にあったため、ペルシアの華麗な庭園文化が導入された。一方で、ムガル帝国は他宗教に寛容だったため、インド土着の装飾も多分に取り入れられた。
こうしてフマユーン廟は「ムガル美術」と呼ばれる新しい芸術様式を生み出しつつ、着工から約9年後に完成を迎えた。
パラダイスを象ったイスラム庭園
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緑の中にたたずむフマユーン廟。砂漠やステップで生きる人々にとって水と緑は憧れの対象。緑豊かな庭園は富の象徴であり、パラダイスやオアシスの縮図でもある ©牧哲雄
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フマユーン廟に隣接したイサ・カーン・モスクのチャトリ。チャトリはインド建築にしばしば見られるドーム付きの小塔で、フマユーン廟でも採用されている ©牧雄彦
砂漠やステップで暮らす者にとって何より大切なのが「水」。だから砂漠やステップを支配する王たちは富の象徴である水をふんだんに使って庭園の美しさを競い合った。
庭園のモデルとなったのが『旧約聖書』や『コーラン』にも描かれている「エデンの園」だ。ゾロアスター教やユダヤ教に古くから伝わるパラダイス伝説で、この楽園には4つの川が流れ、「生命の木」と「知恵の木」をはじめとする木々と果実で満ちあふれているのだという。イスラム庭園には4つの水路が設置されていることが多いのだが、それはこのエデンの園を模しているためだ。
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イランの世界遺産「イスファハンのイマーム広場」のシェイク・ロトフォラー・モスク。やはり水がふんだんに使われている ©牧哲雄
このような四分庭園をチャハールバーグと呼ぶが、チャハールバーグはイランの世界遺産「ペルシア庭園」や「イスファハンのイマーム広場」などでも見ることができる。