セクシュアルマイノリティ・同性愛/ゲイライフ

新年特別号「ああ正負の法則」(2ページ目)

あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。一年の計は元旦にありと言いますが、今年一年、どのように過ごしていくのか、果たして幸せにやっていけるのか、いろいろ考えた方もいらっしゃるかと思います。今回は、そんな新年にふさわしい、神々しいあの方がお書きになった名著をご紹介したいと思います。

後藤 純一

執筆者:後藤 純一

同性愛ガイド

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「神」美輪明宏


美輪様といえば、「オーラの泉」のイメージでしょうか? 『もののけ姫』や『ハウルの動く城』も記憶に新しいところでしょう。昨年から上映中の映画『美輪明宏ドキュメンタリー 黒蜥蜴を探して』をご覧になった方もいらっしゃるかと思います。

『紫の履歴書』を読むとよくわかるのですが、美輪様ほど波瀾万丈で壮絶で華麗な人生を送ってきた方はほかにいません。長崎の花街に生まれ育った丸山明宏は、裏が遊郭、隣が芝居小屋(後に映画も上映)という環境で、子どもながらに人生の表も裏も見聞きし、芸事にも触れてきました。そして昭和20年8月9日、長崎で被爆。幸い生き延びましたが、この世の地獄を目の当たりにしました。

中学に上がり、音楽の才能を見出され、歌のレッスンを受けることに。そうした中で、(まるで古代ギリシアのように)寵愛してくれる男性が現れたり、また、アポロンのような美しい青年と恋に落ちたり。国立音楽大学附属高校に進学するも、家業の倒産により、高校を中退。そして実家で父親と言い争いになり、勘当されます。そして無一文のまま再び上京し、ゲイバーでアルバイトをしたり、様々な仕事に就き、時にはホームレスのようになり、いろんな人に助けられ(その美貌ゆえ、誰かしら手を差し伸べてくれたり、迫ったりしてくるのです)、一命を取り留めました。

丸山明宏

まだ丸山明宏という名前だった頃。「神武以来の美少年」と謳われたその美貌と教養と努力と胆力で、スターへの道を駆け上っていきました。

1952年(17歳の時)に「銀巴里」でシャンソン歌手としてデビューし、1957年に『メケメケ』が大ヒット、マスコミから「神武以来の美少年」「シスターボーイ」などと讃えられるも、同性愛者であることを公表して叩かれ、落ち目に…。しかし1960年代、寺山修司の舞台『毛皮のマリー』や映画『黒蜥蜴』などに主演し、名声を確立。以後、演出などもつとめ、多くの舞台にかかわり、タレントとしてTVでも活躍し、現在に至ります。

そうして60年以上も現役で歌い続けてきた、それだけでも本当にスゴいことですが、一昨年の紅白では肉体労働者への讃歌『ヨイトマケの唄』を熱唱し、日本中に衝撃と感動を与えました。昨年の紅白でも、原爆を生き延びた人間の心の叫びである『ふるさとの空の下に』を熱唱。あの晴れ舞台で、ゴージャスなセットをバックに「愛の讃歌」を歌うこともできたのに、あえて黒髪の「男装」で登場し、地上の苦しみを歌いあげたのです。そこに真の人間的な偉大さを感じずにはいられませんでした。

著書もたくさんあり、『愛と美の法則』『愛の話 幸福の話』『花言葉』など、愛についての名言が豊富に詰まった本が人気を博しています。ほかにも『天声美語』『強く生きるために』『地獄を極楽にする方法』などなど。次の章から『ああ正負の法則』をご紹介します。

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