津村さんとは長いお付き合いになりますね。
森山>もう10年になります。新国立劇場で『弱法師』を発表したときにお願いしたのが始まりで、それから能をテーマに10作ほどご一緒させていただいています。能以外の作品を含めたら、かなりの数になりますね。能は100番以上あるけれど、僕もいろんな作品に出逢っていければと思っていて。先生もどこまで僕に付き合ってくれるかわかりませんが(笑)、できる限りいろんな作品に関わることができたらと……。今回は基本的に僕が創作をして、演出的な面においては絶対的な責任を負っていくつもりです。ただ『羽衣』について言えば、僕が知らないことを津村先生は沢山ご存知ですので、いろいろなアドバイスをいただいたり、提案していただいたり、ときには動きを出していただくこともあります。
津村先生とはもう沢山ご一緒させていただいているので、こちらがどう出ようと受けてくださるという想いがある。僕も、先生がどう出ようと受ける用意をしています。今回はその信頼感のなかに、アリットさんが入ってくることになる。彼とバリで接した時間は短いけれど、それでも濃厚な時を過ごしてきた。だから、どこかで安心している部分はありますね。
「曼荼羅の宇宙」(2012、主催:新国立劇場) (C)kazuyoshi Inoue
能とコンテンポラリー・ダンスという枠をどのように越え、どのようにひとつの舞台が形づくられてゆくのでしょう。
森山>もともと僕自身に枠というものがないんです。だから、枠を飛び越えるっていう感覚があまりないというか……。ミュージカルからこの世界に入ったというのもあるし、舞台に関わり出したのも21歳からだった。“小さい頃から○○先生に習ってきました”というのはなく、そういう意味でもあまりダンス界にしがらみがない(笑)。それに自分が踊るまでダンスはほとんど観たことがなく、突然こういう世界があることを知り、創作を始めようと思った。コンテンポラリー・ダンスというのが何かもろくに知らずにつくり始めていたから、良くも悪くも枠という考えがないんです。出逢いにも恵まれていたと思います。津村先生はもともと能楽師の家の方ではないんですよね。能の世界もそういう家に生まれて小さい頃からやってきた方が多いと思いますが、津村先生は大学時代に能を始めて、付いた師匠が津村紀三子さんという女性の方だった。女性のシテ方はほとんどいらっしゃらないので、大変な苦労をされたと思うんです。そういう体験をしてきた方が師匠というのもあるし、いろいろな挑戦をされたり、しがらみの中で闘ってきた。僕みたいな茶髪の男に付き合ってくれるのも、そういうお心があるからできることなんでしょうね。
僕の活動はいろんな垣根を跳び越えているようだけど、結局は出逢い。先生も舞い手で、僕も舞い手。現代を生きる舞い手であることに代わりはなく、いろいろなことを教えていただき共有したいという気持ちでやっているだけなんです。
バリでの稽古風景
僕は日本に着物や昔ながらの風習がなくなってきた時代に生まれ、洋服を着て育ってきた。だからこそ日本の文化って何だろうって考えたり、昔の文化に憧れる部分がある。ステキだったんだな、いいなって率直に思う。日本人なのに知らないことが沢山あって、日本人ならではの心というものを体感したいって思うから、日本の題材を選ぶことも多くなる。日本の文化というものを発見しながら、物をつくったり踊ったりできたらなって思っているんです。
といってもミュージカルに出演するときはすごく西洋的なものも踊るし、僕のなかでは和に偏っているつもりはありません。ただひとつの方向性として、日本という文化や日本ならではのものにテーマを置くことが多くなっているのは感じます。それは、やはり出逢いがあると思う。いろんな方と出逢うことによって、新しい自分、そのときどきに知らない自分を出していっているような気がします。
この作品にしても、テーマは日本から発している訳ですけど、もっと視野を広げていきたい。天人ということからイメージを膨らませたら、天使だったり、空や月、宇宙……ということになっていく。そこにバリの音楽が加わり、世界観がどうあらわれてくるか。まだわからない部分が多いのですが、だからこそ僕自身この作品がどうなっていくのかとても楽しみにしているんです。
『HAGOROMO』 佐渡公演