アジャンター石窟群の歴史
1. 上座部仏教の時代
第26窟のストゥーパと列柱。石窟は人工的に掘られた洞窟であるから、本来柱や梁・垂木は必要ない。右の柱や垂木は木造の僧院や寺院を模してデザインされた ©牧哲雄
第19窟のファサード。デザインは第26窟と似ている ©牧哲雄
紀元前の時代、インドの仏教といえば実践を重んじる上座部仏教(小乗仏教)。もともと原始仏教は宗教というより哲学で、何かに祈るというより知性と感性を研ぎ澄ませて真理を追う活動だった。次第に宗教化していくわけだが、この頃はやはり出家して行う修行が重要視された。
だからヴィハーラ窟(僧院)はシンプルで、チャイティア窟(寺院)のストゥーパも象徴といった程度のもの。僧たちは世俗の生活を捨て、ワゴーラ渓谷で命懸けの修行を行った。
アジャンター石窟群の歴史
2. 大乗仏教と衰退
第2窟内部、中央が本尊の釈迦如来。周囲には千体仏が所狭しと描き出されている ©牧哲雄
第26窟の涅槃仏。ブッダ入滅(死亡)直前の様子を描いている ©牧哲雄
後期の石窟はハイダラーバード藩王国・ヴァーカータカ朝などの支援を受けられたことも大きい。王たちが寺院を寄進し、インド北部で発達したグプタ美術のアーティストを集めて腕を振るわせた。
未完成のまま放置された第24窟内部。未完成の石窟も少なくない ©牧哲雄
やがてヒンドゥー教は仏教の神々をも取り込んでインド全土に拡大。その過程で仏教もヒンドゥー教化して差がなくなり、吸収されて衰退した(一部は密教として伝わる)。その様子はアジャンター衰退後に発展したエローラ石窟群を見学するとよくわかる。
特にグプタ朝がヒンドゥー教を国教化すると仏教は急速に衰退し、アジャンターは7~8世紀に放棄されて森に飲み込まれ、およそ1300年にわたる眠りに就いた。