東アジア仏教文化の元祖、世界遺産「アジャンター石窟群」
アジャンター石窟群、第26窟。中央は仏像を伴ったストゥーパ。列柱と垂木を模した彫刻が動物の肋骨のよう。仏の胎内にいるような神々しい空間を生み出している
今回は美しい渓谷に守られたインド仏教の至宝、世界遺産「アジャンター石窟群」を紹介する。
デカン高原の秘境アジャンター
大地を切り裂いて流れるワゴーラ川とアジャンターの断崖。全長約600mの断崖に30の石窟が掘られている ©牧哲雄
アジャンターの断崖。中央には7段に流れ落ちる滝がある ©牧哲雄
1819年4月28日、トラ刈りに訪れたイギリス人士官ジョン・スミスは森の中でトラに襲われて渓谷の断崖に身を伏せる。トラの気配がないことを確認し、目を断崖に転ずるとそこには岩を彫り抜いた窓や石柱の数々。三日月状の断崖には大小30もの石窟が口を開けていた。
失われてから約1300年、アジャンター石窟群の「発見」だ。
仏教史を伝える貴重な世界遺産
馬蹄型の窓と仏像で飾られた第9窟のファサード。仏像や内部の壁画は後期に付け加えられたもので、前期にはほとんど装飾がなかった ©牧哲雄
第9窟のストゥーパ。この頃は仏像が存在せず、ストゥーパや仏足石などが仏教の象徴となっていた ©牧哲雄
たとえば紀元前1世紀に造られた第9窟のストゥーパ。半球をベースとするシンプルなデザインは世界遺産「サーンチーの仏教建造物群」に築かれた古墳状のストゥーパによく似ている。もともとストゥーパとはブッダ(釈迦)の遺骨=仏舎利(ぶっしゃり)を収めた仏塔のこと。紀元前3世紀、マウリア朝のアショーカ王はブッダの遺骨を84000に分割し、各地にストゥーパを造って奉納したという。サーンチーに現存しているのがそのうちの3つだ。
第19窟のストゥーパ。仏像が置かれているだけでなく、周囲も彫刻で飾られている ©牧哲雄
アショーカ王は中央アジア、ガンダーラ周辺にも版図を広げた。それ以前にガンダーラを占領していたのはアレクサンドロス帝国やバクトリアといったギリシア人(マケドニア人)国家。こうしてギリシア彫刻が仏教と融合し、ギリシアの神像をまねて仏像が発明された(別説あり)。
第19窟や第26窟は5~7世紀に掘られた石窟だが、ここのストゥーパには仏像が据えられている。この時代に仏像が伝わり、ストゥーパとともに寺院の中心を飾るようになった。
日本のお寺の中心には塔と金堂(こんどう)がある。ストゥーパは中国で塔の上に据えられるようになり、多層塔として発展した。日本の三重塔や五重塔がこれに当たる。一方、寺院の中心に座す仏像は本尊と呼ばれて金堂に設置された。アジャンターの石窟群は日本の寺院の原型といえるものなのだ。