玄関開けたら……
食べては話し、話しては食べ……
同郷の友人と会う約束があった翠は、翌日、午前11時には家を出るつもりだった。しっかり化粧をして、鏡に向かって口角をニッと上げて自分なりにOKを出した。携帯電話をバッグに放り込んで、シュークロゼットの上に置いてある鍵を手にすると、リンリンと鍵につけた鈴が鳴った。玄関ドアを外に押し開いて外に出ようと思った瞬間、「ハッ」と、体が固まった。
玄関前に昨日の男が立っていたのだ。翠はうろたえた。ドアノブを握ったまま、男を凝視してしまった。男は翠を見ていた。道路からは開放された門があり、アパートには誰でも入ってこられるようになっている。L字型のように一直線のコンクリートの通路が伸びて、6戸の部屋が並んでいるが、翠の部屋は一番奥だ。つまり、道路からは見えないし、隣の家からも見えない。
玄関を開けたら、男が立っていた……。予期していなかっただけに心底驚いた。だが、男は何を言うでもない。何か言うべきか? 言わないほうがいいのか? 時間にしたらごくわずかの間だっただろう。翠は思ったことを口にした。
「な、何なんですか。ビックリするじゃないですか」
「……」
「昨日のものだったら、買いませんから」
「いや、そういうわけじゃなくて……」
「はぁ? じゃ、関係ないですよね。私、出かけますから」
そう言って、男に背中を向けてドアを閉めた。すると、急に暗くなったと思った瞬間、男の顔が思いがけず間近にあって、翠は肩でガードするように上半身を引いた。だが、男は翠に触れることはしなかった。翠は一、二歩下がる形になったが、男はうっそりと立ったまま、何か言いたそうに頭を回した。
「坂上……、坂上なんて言うんですか」
「はぁ? 何で名前なんて訊くんですか。関係ないじゃないですか」
「彼氏とか、いるんですか?」
「は? ちょっと、やめてください。私、急いでるんです」
「……」
男は何も言わずに翠に道を開けた。逃げるように建物の出口のほうに小走りに向かった。駅までも急ぎ足で、途中何度も振り返った。男の姿は見えなかった。
友人・真理
私鉄を乗り継いで渋谷に出て、待ち合わせ場所に友人を見つけるとホッとした。
「まりっぺ~。聞いてよぉ~。私、怖い目に遭っちゃった」
歩きながら、興奮気味に真理に向かってしゃべり続けた。ハンバーガーショップで並んで座った。話しては食べ、食べては話す翠が一息ついたときに真理が口を開いた。
「“玄関開けたら、ストーカー”か。翠さあ、とりあえず、表札は外しなよ。今どきは個人情報がヤバイんだから、表札なんか出さないよ」
「あ、外すつもりでいたのに忘れちゃった!」
「おまけに手作りのなんて、それって、ここには女の子が住んでますって教えているようなものじゃん」
「そっかぁ。そうだよねぇ。そんなこと考えてもみなかった」
「それで、なんで“ピンポン”にすぐ出るかなぁ」
「だって、実家から何か送ったのかと思ってぇ」
「お母さん、荷物送るときは連絡してくるでしょ? それに普通は来る前に電話くれるじゃん、突然、やって来る人はほとんどセールスか勧誘だよ」
「そうかぁ。そうだよねぇ。何も考えていなかったなぁ」
「翠、あんた家にいるとき、ドアチェーンかけてる?」
「え? 寝るときはかけてるけど」
「家にいるときはチェーンもかけなきゃ。誰か来てドア開けるときだって、チェーンをかけたままなら、まだ安心でしょ。それにドアスコープがあるんならそれで先にチェックしなきゃ」
「あ、ドアチェーンって、そういう使い方も出来るんだ~。ドアスコープ、これまで見ることなかったけど、今度からちゃんと見るね」
真理の言うことになるほどと納得することしきりだった。取りとめのない話をしながら街をぶらついて帰るころになると、真理が翠に帰宅したら連絡するように言った。メールすることを約束して別れた。
帰りの夜道をひとりで駅から歩きながら、翠は気になって周囲を見回したが男の姿は見えない。さすがにアパートに着いたときには、通路を覗き込むように見通してみた。誰もいなかった。翠はホッとして、自宅の玄関に近づいていった。(次回に続く)