LGBT? セクシュアルマイノリティ?
クィアといえば、FOXで放送されていた『クイア・アイ』を思い浮かべる方もいることでしょう。5人のゲイがダサいノンケ男性をオシャレに変身させるという番組でした。
「セクシュアルマイノリティ」(当事者の間では略して「セクマイ」と言われたりもします)は、さまざまな人たちを包摂できる概念として現在でも多用されている、最もわかりやすい言葉です。が、「マイノリティ」という言葉をあまり快く思わない人もいるようで(社会的マイノリティ=不当に社会の片隅に追いやられている人たちという意味合いで、今のところ実態を的確に表現していると思うのですが……)、次第に「LGBT」に取って代わられてきています。
「レインボー」はセクシュアルマイノリティのシンボルであるレインボーカラー(7色ではなく、赤・橙・黄・緑・青・紫の6色)のことで、パレードなどのコミュニティイベントで最もよく使われています(二丁目のレインボー祭りもそうです)。そういう意味で、セクシュアルマイノリティの総称として「レインボー・ピープル」はどう?と提案する人もいました。が、残念ながらあまり普及しなかったようです。
90年代、欧米の影響を受けて「クィア」という言葉(考え方)が広まりました。クィアはもともと「ヘンタイ」とか「オカマ」という意味の侮蔑語ですが、それを逆手にとり、異性愛中心主義に違和を覚える多様な性のあり方に言及する際の言葉として、自己肯定的にラジカルに使用されるようになりました(一言で言うと「普通じゃないこと」に価値を見出す態度だと思います)。そして、セクシュアルマイノリティの総称としても用いられるようになりました。
2000年代、そういうさまざまな意味合いやニュアンスを徹底的に透明化した端的な(価値中立的な)言い方として「LGBT」が広まりました(欧米ではこうしたイニシャル言葉がとても多いですね。TGIFとかRIPとか)。活動家など、政治的な正しさ(Political Correctness=PC)を重視する人たちは「LGBT」という呼称を用いる傾向が強く、国連関係の資料などでも専ら「LGBT」が用いられています。
しかし、コミュニティ内では、「LGBT」という言葉にはインターセックス(性分化疾患の人)、アセクシュアル(性的指向がない人)、クエスチョニング(よくわからず、揺れている人)といった人たちがinclude(包摂)されていないのでは?(そもそも総称にならないのでは?)という疑問・違和感をもつ方も多いようです。すべてのマイノリティの人たちをもれなく含めようとしてがんばってLGBTIAQ…といった表現をする方もいました(かつての神戸パレードがLGBTIQプライドマーチと称していました)が、LGBTと言うのはやめてなるべくセクシュアルマイノリティ(やクィア)と言おうというスタンスの人も多いのです(ここまでさんざんLGBTを連発してきましたが、ゴトウも実はその立場です)
というように、総称問題はとても奥が深く、難しいのです。とりあえず現時点では「LGBT」がニュートラルな(PC的に「正しい」)言い方だということになっているようですが、将来もっとナイスな、誰もが納得するような言葉が生まれるかもしれない(そうなったらいいな)と思います。
最後に1つ、おまけエピソードを。
ゴトウの女装友達のアロムちゃんという人が、知り合った時はゲイだったのですが、最近、女性ホルモンを投与したり乳房の手術を受けたりして体も女性になろうとしています。だからといってお前はもうゲイじゃないだろう!的な扱い(ゲイバーに入れなくなったりということ)もなく、相変わらずゲイイベントでショーをやったりして、なかよく楽しくやっています。ゴトウだって、たまたま体は男性のままだけど(かろうじて性自認は男性)、ときどき女装するし、心はけっこう女性だし……同じラインの上ですぐ隣にいる仲間だと思っています。
本当を言うと、ゲイかトランスジェンダーかという区別は、リアルな世界ではそんなに重要ではなくて、とりあえずの名指し(認識するためのとっかかり)でしかありません。性はグラデーション。そして、性は人の数だけあるのです。