戦後、精米規制があったなかでも高精白に取り組む

竹垣

蔵のエントランスに続く見事な竹垣。初夏には青竹に変わる

越乃寒梅のお蔵は、新潟市の中央部、阿賀野川と信濃川に挟まれた田園地帯、亀田郷に位置する。雪国のイメージが強い新潟だけどこの海寄りの地区は比較的雪が少ないという。ここはその昔砂丘と荒れた沼地だったが米作り政策により稲作が盛んになり日本有数の米どころとなった。わずかに当時の面影を残す砂丘湖である北山池、今は桜の名所となっている。また古くから藤吾郎梅という梅の産地でもあり、「越乃寒梅」の名は『厳しい冬の寒さにも負けず凛として咲く寒梅の美しさ』にちなみ命名された。

石本酒造の歴史を見てみよう。

たぶのき

まさにご神木! きれいに苔むしたたぶのきが越乃寒梅の歴史を見守る

石本家四代目の龍蔵が酒蔵の創業者となる 。明治40年、地元の人に晩酌で飲んでもらおうと酒造りを始めた。昭和8年に二代目となった石本省吾は、太平洋戦争で1年間休業をしたが、 戦後、新潟財務局鑑定官、田中哲郎の指導の下、「きれいだが旨味のある酒造り」にまい進した。戦後、精米歩合87%規制があったころも80%まで精米していたという。



北山池

お蔵から数分の北山池。ヘラブナ釣りの人がゆっくり竿を下す。これからは桜がシーズン。

また、昭和40年代の甘口ブームの際も辛口を守り通し、これが新潟=淡麗辛口というイメージベースとなった。その後、雑誌『酒』に取り上げられ“幻”の冠が付いたことは知られるところ。昭和57年に三代目石本龍一が社長となり、平成16年、現四代目、石本龍則社長に引き継がれている。「前の年よりうまい酒を」をモットーに生真面目な酒造りを続けているがそれを声高に語ることはない。これは石本酒造創業以来107年間の気質だ。