経営学者ドラッカー思想の根底

ピーター・ドラッカーは1909年にオーストリアで生まれた経営学者で、人類史上初めてマネジメントという分野を体系化した人です。それゆえに「マネジメントの発明者」とか「マネジメントの父」とかと呼ばれています。

ドラッカーはもともと社会全体に関心を持っていました。ファシズムの起源を分析し、29歳のときに出版した処女作『「経済人」の終わり』は、ときの英国首相ウィンストン・チャーチルに大絶賛されました。 ドラッカー思想の根底には「人間の幸せ」があります。多くの人が組織で働く組織社会において人々の幸不幸を決めるのは組織のマネジメントの良し悪しであるとして、ドラッカーは1943年にアメリカの大手自動車メーカーGMを対象に本格的なマネジメント研究の道に入っていきます。

2年に及ぶ徹底的なGMの調査をもとに1946年『企業とは何か』を出版し、その後1954年に出版した『現代の経営』でマネジメントという分野が初めて体系化され、1973年の『マネジメント』によってそれが集大成されます。(上記の書籍はすべてダイヤモンド社から出版されています。)

ドラッカーは自身を「社会生態学者」と呼び、大きな歴史の流れと社会全体の中で組織を捉え、マネジメントのあり方を論じています。並はずれた知識量と頭脳の明晰さをベースに、論理と直感で物事の本質を見極める鋭さは経営学者の中でも群を抜いています。
 

経営学者ドラッカーの生い立ち

ドラッカーの父はオーストリア・ハンガリー帝国の外国貿易省長官で、母は医学を専攻した人でした。ドラッカー家は精神分析学者のフロイトや経済学者のシュンペーターなどヨーロッパの知識人が集うサロンでもありました。ドラッカーは国際法の博士号を持っていますが、その勉強法は図書館に籠っての独学が主なものでした。24歳の時には教授の代わりに国際法のゼミで学生を指導していたようです。

ドラッカーはヒトラーから逃れるようにドイツに渡りその後イギリスに移りました。その間、証券会社、新聞社、投資銀行などでの職を転々としています。1937年にアメリカに移ってからは大学教授としてベニントン大学、ニューヨーク大学、クレアモント大学などで教鞭をとりました。

学術界においては一部にドラッカーを高く評価しない人もいます。それは過去の先輩達の研究成果を引用しながら自分の理論を展開していく科学的な手順を踏んでないという理由からの批判でした。

しかし、ドラッカーの理論は常に現場の調査分析から始まり見事なまでにその本質を突いています。ドラッカー経営学が本物であり且つ現場で有効であることは、学術界やビジネス界の一流の人物がドラッカーを賞賛している事実を見れば明らかです。
 

経営学者ドラッカーが与えた影響

学術界ではジム・コリンズ、フィリップ・コトラー、ウォレン・ベニスなど錚々たる研究者がドラッカーに敬意を払っています。

実社会においても、イギリス元首相マーガレット・サッチャー、GEの元CEOジャック・ウェルチなど大きな業績を残した指導者達に影響を与えました。ドラッカーは世界の一流の人達から師と仰がれる特別な存在なのです。

1959年の初来日以来、日本の経済界にも大きな影響を与えてきました。ソニー創業者の盛田昭夫氏やイトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊氏などと懇意ですし、ユニクロ社長の柳井正氏などドラッカーの影響を受けて事業を成功させたと公言している経営者は枚挙に暇がありません。

ドラッカー自身も日本に高い関心と敬意の念を持っていました。ドラッカーは日本画の収集家であり日本画に関する講義も行っていました。

2005年11月11日にドラッカーが他界したときには、世界中で「巨星墜つ」と報道されました。まさに現代社会における最高級の哲人であり思想家であることは間違いありません。

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