初めての一人暮らし
初めての一人暮らしは赤いカーテンで
室内はワンルームで、東南の角部屋ということで陽射しも十分に入ってきた。カーテンレールは2列あったが、とりあえず真っ赤なカーテンを取り付けた。実家ではキャラクター柄の黄色いカーテンだったが、子どもっぽいのはもう卒業だ。初めての一人暮らしで、ブルーやグリーンの色では気持ちまで寂しくなりそうな気がして、自分を元気にするためにも赤色を選んだのだ。
同じ大学に入学した友だちはいないが、同じように一人暮らしを始めた仲のいい友だちが電車で30分ほどの距離に住んでいる。最初の夜も電話で話しこんで、寂しさは感じなかった。大学生活が落ち着いたら、アルバイトも探したい。桜の開花も報じられて、まさに一人暮らしの春が始まったと感じていた。
不意の来訪者
ある午後、突然、「ピンポ~ン」とチャイムが鳴った。(実家から何か荷物を送ってくれたのかな)と思い込んで、「は~い」と答えて急いで玄関ドアを開けた。だが、そこに立っていたのは若い男だった。翠は「えっ」とたじろいで、「あ、あのぉ」とばつの悪さを感じた。その男は勢いよく90度に近いお辞儀をすると、「××の高橋と申します。本日は○○のご紹介に参りました」と告げた。何かのセールスらしい。「あ、あのー、いいです」と答えてドアを閉めようとしたが、ドアは外開きで、男はドアの内側に入り込んでいた。
「坂上様、それでは商品の説明をさせてください。こちらの△△ですが」と、男は翠の「いいです」を了解と受け取ったかのように、翠の姓を呼びかけて続けた。
「いえ、あのぅ、いいです」
「まずは一度使ってみていただけるとお分かりになるはずです。今なら特典も付いています。お使いになった皆さん、喜んでいらっしゃるんです。坂上様もきっと気に入るはずです」
品物が何であるか、よく分からないが、今特に足りないものはないし、欲しい物などないのだ。
それにしても、何度も「坂上様」と言われるのも気分が悪い。表札を見たのだろうが、翠は頭の中で(表札は外しておこう)と考えていた。ペラペラと話し続ける男にうんざりしながら、翠はドアを閉めるタイミングを計っていた。
「お願いします。なんとかお願いします」
そう言いながら、翠を見た男の視線の動きから、翠の後ろの室内を見ているのが分かった。さらにいやな感じがした。
「あの、お金ないですし、本当にいりませんから」
「まずは、無料でお試しください。お願いします」
ドアを閉めようにも男の立ち位置が邪魔で閉められない。
「あの、困ります」
「お願いします」
「もう。困るんです。帰ってください」
必死で追い出そうとしたが、ドアノブに手を伸ばすには体が触れそうになる。
「お願いしますから、帰ってください!」
泣きたくなるような気持ちでそう言った。
「これから出かけますから。すみません」
すると、男は冷たいまなざしで翠を見て、何も言わずにぷいっと出て行った。あれだけ話していたのに、去るときにはひと言も言わないというのもかえって不気味な感じがした。
翠は急いでドアを閉めて、ドアチェーンもかけた。胸騒ぎというか、いやな気分が残った。出かけるのも怖いような気がした。思い出すと、チャイムが鳴ったときに何も考えずに玄関ドアを開けていた。ドアスコープもあるのに。それに実家からの荷物かと思い込んでいたが、母親が事前に連絡しないはずはなかった。
不意の来訪者に対して、不用意に玄関ドアを開けることは怖いことなのだと気づいた。これまでは何も怖さを感じなかったのに、急に一人暮らしが不安になった。これから先、どんなことがあるのか見当もつかない。だが、たくさんするべきことがあるように感じていた。そして、その翌日、悪い予感は当たった。(次回に続く)。