パレスチナ推薦の聖誕教会が世界遺産登録

聖誕教会の祭壇

聖誕教会の祭壇下に記されたベツレヘムの星。イエスはこの場で生まれたと信じられている。イエスが亡くなったエルサレム旧市街のゴルゴダの丘から約10kmの位置にある

パレスチナの旗

パレスチナの旗。パレスチナ自治政府は国家樹立を目指して同様の活動を強めており、アッバス議長は今後も種々の国際機関への参加を表明している

今回もっとも話題になったのがパレスチナと聖誕教会だろう。2011年9月、パレスチナがはじめて国連に加盟を申請し、続いて10月にはユネスコへの加盟が承認された。

これに対してアメリカとイスラエルが反発。特にアメリカは国連に対して拒否権の発動を示唆し、ユネスコに対しては全予算の2割強を占める拠出金を凍結している。

そして緊急に登録・保護が必要な物件ということで、パレスチナが申請した「イエスの生誕地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路」の世界遺産登録が承認された。イスラエルが反対道議を出したものの却下されたようだ。事前調査・審査を行ったイコモス(ICOMOS:国際記念物遺跡会議)が調査不十分ということで緊急登録としては不登録の勧告を出していたこともあって、アメリカは聖誕教会の価値は認めるものの、その政治的なプロセスを非難した。

 

アメリカは世界で最初に世界遺産条約を採択した国である一方で、ユネスコの活動が政治的であるなどの理由で1984年に脱退し、2003年にようやく復帰している。今後のイスラエルとアメリカの動向が注目される。

エルサレム旧市街

エルサレム旧市街。上が岩のドームで下が嘆きの壁。イスラム・ユダヤ・キリスト三教の聖地が旧市街に集中している ©牧哲雄

こうして「パレスチナにはじめての世界遺産が誕生した」と報道されたわけだが、実はパレスチナ(が領有権を主張している場所)には「エルサレムの旧市街とその城壁群」という世界遺産が存在する。エルサレム旧市街は世界遺産リスト上でも所属国名が書かれておらず、「ヨルダン申請の物件:Site proposed by Jordan」という注が付けられている。

1948年のイスラエル独立後、エルサレム旧市街はヨルダンの管理下にあったが、1967年の第三次中東戦争でイスラエルが占領。そのままヨルダンが世界遺産に申請し、1981年に認められたものの、ヨルダンは1988年に領有権を放棄してしまった。イスラエルはエルサレムを首都であると宣言しているが、国際社会はこれを認めないまま現在に至っている。

世界遺産とはなんなのか? その存在意義にかかわる重要な問題が、ここに隠されている。

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危機遺産リストの変更点

コルディリエラ山地、バタッド村のライステラス

「フィリピン・コルディリエラの棚田群」に登録されているコルディリエラ山地、バタッド村のライステラス。車や機械はもちろん、電気やガスすらない山間部に開けるこの景観はまさに驚異

これまで危機遺産リストには35件の世界遺産が登録されていたが、今回5件が追加され、2件が削除されたため、計38件となった。その概要を紹介しよう。

<危機遺産リスト入り>

■海商都市リヴァプール
The Three Graces(三美神)

リヴァプールの港湾風景。右手前からアルバート・ドック、リヴァプール港湾ビルディング、キューナード・ビルディング、ロイヤル・リバー・ビルディング

イギリス、2004年、文化遺産(ii)(iii)(iv)
18~19世紀にかけて、ヨーロッパ・アフリカ・アメリカをつなぐ三角貿易の拠点となり、造船をはじめとする製造業や産業革命を押し進めた鉄道網を発達させて、大英帝国の中心を担ったリヴァプール。世界遺産に登録されている6つのエリアは当時の様子をよくとどめているが、その一部で都市の再開発計画が持ち上がり、その実行が遺産とその周辺の景観を変え、価値を損なうとしてリストに登録された。

 

■パナマのカリブ海沿岸の要塞群:ポルトベロとサン・ロレンソ
パナマ、1980年、文化遺産(i)(iv)
17~18世紀、パナマを植民地化していたスペインは、海賊の略奪に対して数々の要塞を築いて対抗した。カリブ海を望むポルトベロとサン・ロレンソの6つの要塞はその典型だ。しかしながら城壁や砲台などの資産は補強が必要で、風雨の浸食も進んでおり、何より10年以上前から警告しているにもかかわらず十分な保護計画が進んでいないことからリスト入りとなった。

 

■イエスの生誕地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路
パレスチナ、2012年、文化遺産(iv)(vi)
イスラエルとの抗争等によって教会の維持・補修が進まない現状から世界遺産に緊急登録され、同時に危機遺産リストに記載された。内容は後述の新登録の世界遺産全リストにて解説。

■トンブクトゥ
マリ、1988年、文化遺産(ii)(iv)(v)
サハラ砂漠を挟み、北アフリカと西アフリカを結ぶ要衝に築かれたトゥアレグ族の都トンブクトゥは、ニジェール川でとれる金で繁栄した「黄金の都」。2012年4月、アザワド解放民族運動MNLAとイスラム過激派組織アンサル・ディーンがマリ北部を制圧し、アザワド国の独立を宣言。5月にはアンサル・ディーンがトンブクトゥに侵入し、世界遺産登録の3つの墳墓を破壊した。マリ政府がリスト入りを要請し、承認された。

■アスキア墳墓
マリ、2004年、文化遺産(ii)(iii)(iv)
アスキア墳墓はソンガイ国王ムハンマドの王墓で、日干しレンガと泥壁・木杭で造られたスーダン様式が特徴的な建物だ。危機遺産リスト入りの事情はトンブクトゥと同じ。世界遺産委員会は、周辺国にこれらの遺産の文化財が流出しないよう監視を要請するなど、世界的な協力・支援を確認した。一方、アンサル・ディーンはさらなる破壊も予告しており、予断を許さない。

<危機遺産リストから削除>

■ラホールの城塞とシャーリマール庭園
シャーリマール庭園

「ラホールの城塞とシャーリマール庭園」登録のシャーリマール庭園。世界遺産「タージマハル」の建設を命じたシャー・ジャハーンが造らせたもの

パキスタン、1981年、文化遺産(i)(ii)(iii)、危機遺産登録2000年
アクバルの建てたラホール城やシャー・ジャハーンによるシャーリマール庭園など、ムガール帝国時代のすぐれた建築が残る世界遺産だが、道路拡張により庭園の貯水池の一部が取り壊され、景観を損ねたことから危機遺産リスト入りしていた。しかし保護体制が整えられ、主だった建物もほぼ修復されたことから、リストからの削除が実現した。

■フィリピン・コルディリエラの棚田群
フィリピン、1995年、文化遺産(iii)(iv)(v)、危機遺産登録2001年
イフガオ族が2,000年にわたって築いてきた棚田群は総延長2万kmに及ぶといわれ、「天国への階段」と称されている。棚田はつねに手を加えて保全していく必要があるが、村民の村離れによる後継者不足から放棄される棚田が増加し、田の放棄が水利システムの停止と崩壊をもたらしてしまった。しかし国内外の支援と、伝統技法による棚田保全の技術の確立により、リストからの削除が決定した。