リラ修道院の歴史

聖母教会とそれを取り囲む僧院

聖母教会をぐるりと取り囲んでいるのが僧院だ。この僧院は分厚い壁を持ち、城壁の役割を果たしている

聖母教会の柱廊部のフレスコ画

こちらも聖母教会の柱廊部のフレスコ画

10世紀の修道士イヴァン・リルスキーは深い森の中に隠遁し、洞窟の中で寝起きしながら修行を行った。やがて神の声を聞くまでに精進すると、彼を慕って修道士たちが集まりだし、やがて小さな僧院が建てられて「リラ修道院」と命名された。

当時この地を支配していたのはブルガリア帝国。9世紀にキリスト教を国教化すると、やがてリラ修道院を庇護し、君主たちは積極的な援助を行った。14世紀の大地震を機に現在の場所に移され、大幅に増築されて修道院コンプレックスができあがった。

広大な修道院領を持ち、大いに繁栄した修道院だったが、1396年、ブルガリア帝国はオスマン帝国によって滅ぼされてしまう。オスマン帝国はイスラム教を国教としていたためキリスト教の信仰は制限され、修道院も一部破壊されるが、その後なんとか存続が認められた。

 

リラ修道院の裏口

僧院はレンガと漆喰で堅固に造られている。入り口は表と裏の2か所で、ここを封じれば籠城もできた。こちらは裏口

以降19世紀まで、リラ修道院はブルガリア人の信仰を守る砦としてあり続けた。大っぴらな活動はできなくても、ブルガリア各地から修道士がこの地に集い、信仰を固めてまた全国へと旅立った。現在ブルガリア国内ではキリスト教徒が8割強を占めている。400~500年というオスマン帝国の支配期間を考えると、その信仰心のあつさがうかがえる。

18~19世紀、オスマン帝国はロシアとの戦争に敗れると、近代化にも乗り遅れ、各地で起こる反乱を統治することもできないほど弱体化してしまう。その余波を受け、リラ修道院は度重なる襲撃を受けると、1833年、ほとんどの建物を破壊されてしまう。

 

しかし、すぐに多額の寄付を受けて再建がスタート。敵の襲撃を想定した要塞のような修道院が完成した。これが現在のリラ修道院だ。

リラ修道院と周辺の見所

街を襲う悪魔たち

街を襲う悪魔たち。こんなところからブルガリアの田園風景を読みとることもできる

リラ修道院は、僧院や教会などの建物からなる宗教コンプレックスだ。ここではリラ修道院を構成する建築物と、その周辺の見所を簡単に紹介しよう。

■リラ修道院自然公園
修道院はリラ修道院自然公園という国立公園の中に位置している。道中の車窓の風景が第一の見所だ。都市が次第にヨーロッパらしい草原や田園風景に変わり、やがて深い森林に接続するその光景が本当に美しい。リラ修道院には自然公園へのトレッキングコースもあるので、ハイキングなどを楽しむこともできる。

■僧院
リラ修道院を取り囲む僧院には修道士たちが寝起きした300以上の小部屋があり、キッチンや図書館、礼拝堂なども備えていた。図書館は9,000冊を超える蔵書を収蔵し、キリスト教やブルガリア語が禁止されたオスマン帝国時代には国内各地の書物を集め、その文化を守った。僧院の一部は歴史博物館や民俗博物館となっており、イコンや宗教画、当時の修道士たちの衣装や用具を見学できる。

■フレリヨの塔
フレリヨの塔の鐘楼

フレリヨの塔。塔前部が鐘楼で、この鐘の音が修道士たちに時を知らせた

14世紀にリラ修道院を現在の場所に移築した領主フレリヨ・ドラゴボラの名にちなんだ塔。非常に堅固な造りで、19世紀にとんどの建物は破壊されたが、この塔は大火を耐え抜き、14世紀の姿をいまに伝えている。

■聖母教会
リラ修道院の中心にある教会で、ビザンツ式のドーム、ムーア式の列柱など、多くの建築様式が合わさった独特な造りをしている。内部には3つの祭壇と2つの礼拝堂があり、1,200もの場面を描いた壮麗なフレスコ画で覆われている。最大の見所は教会内部にあるイコノスタシス(イコンで覆われた木製の壁)で、極彩色のフレスコ画の中にたたずむ黄金の装飾が美しい。

■リルスキー洞窟
修道院から徒歩30分ほどの山中にリルスキーが暮らしていたという洞窟と断食堂が残されている。もともとリラ修道院はこの場所にあったが、14世紀に現在の場所に移転した。