世界遺産/ヨーロッパの世界遺産

ヴィッラ・アドリアーナ/イタリア(3ページ目)

のちに世界遺産になる数多くの建物を世界各地に建築したローマ皇帝ハドリアヌス。世界中を視察して回ったハドリアヌスはその集大成としてローマ郊外の景勝地ティヴォリに巨大な別荘を造り上げた。今回は『テルマエ・ロマエ』にも登場して話題になったイタリアの世界遺産「ヴィッラ・アドリアーナ(ティヴォリ)」を紹介する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

ヴィッラ・アドリアーナとハドリアヌス

ポイキレの池

ポイキレの池。ティヴォリの豊かな自然を利用して、水と緑にあふれた空間を創り出した

ポイキレを囲む土壁

ポイキレを囲む土壁

ティヴォリはローマから約30kmの位置にある風光明媚な街。丘からはローマを見下ろし、谷には川が流れ、深い緑に覆われている。古代ローマの時代から貴族たちがこの地に別荘を建て、休日には野山を眺めながらのんびり暮らしていた。

ハドリアヌスもそんなひとり。トラヤヌスが亡くなって117年に皇帝の座に就くと、翌118年にはヴィッラ・アドリアーナの建築を開始する。

五賢帝の中でもトラヤヌスまでは領土を拡大し続けたが、ハドリアヌスはそれを固めた皇帝だ。ハドリアヌスの長城を造ったのはケルト人の侵入を防ぐためだったが、それは城壁から北の土地をあきらめるということでもあった。実際彼はメソポタミアやアルメニアの土地を放棄している。

 

スフィンクス像

ライオンの身体と人間の頭を持つエジプトの怪物、スフィンクスの像

ローマ帝国の統治を強力なものにするために、ハドリアヌスは帝国のあちらこちらを旅しながら各地を整備し、法律をも充実させていった。在位期間21年のうちローマには7年程度しかいなかったという。帝国中にハドリアヌス関連の建物が残っているのはこうした理由からだ。

ローマに戻るたびにヴィッラ・アドリアーナの増改築を行い、133年、ようやく完成に至る。ギリシア式の柱、ギリシアの神々、エジプトの運河、ワニの彫刻等、各地の影響を受けたものに仕上がった。池を多用し、その周囲に柱や部屋を巡らせ、特に円や曲線を多用するデザインは、その後の別荘の典型になったという。

 

ハドリアヌスの晩年は、絶大な権力があったにもかかわらず幸福とはいえなかったようだ。人を信用できず、身体も精神も病んで自殺未遂さえ起こしたという。ハドリアヌスが亡くなったあと、この別荘はしばらく使われていたようだが、3世紀には放棄され、やがて廃墟となっていく。

ヴィッラ・アドリアーナと世界遺産「ティヴォリのエステ家別荘」

セラピス神殿

エジプトの神セラピスを祀ったセラピス神殿

エントランス

ヴィッラ・アドリアーナのエントランス

中世、イタリアの諸都市が地中海を利用したアラブや北アフリカとのレヴァント貿易(東方貿易)で栄えるようになると、ティヴォリにもふたたび豪壮な別荘が建てられるようになる。

やがてアラブから逆輸入した古代ギリシアや古代ローマの知識をもとに、当時の建築や芸術を模倣・発展させて、「ローマ風の」を意味するロマネスクや、人間の再生を目指したルネサンスの時代がはじまる。たとえばフィレンツェのドゥオモの巨大なクーポラ(ドーム)は、ローマのパンテオンを研究して設計されている。

 

ティヴォリのエステ家別荘

世界遺産「ティヴォリのエステ家別荘」。その噴水庭園はベルサイユ宮殿をはじめ、世界中の庭園に影響を与えた

同じようにヴィッラ・アドリアーナを発掘・研究したのがピッロ・リゴーリオだ。リゴーリオは古代ローマの庭園からデザインを学び、池や噴水で演出するイタリア式庭園を完成させる。その成果といえるのがティヴォリにあるもうひとつの世界遺産「ティヴォリのエステ家別荘」だ。

エステ家の噴水は「王の庭師」アンドレ・ル・ノートルらによってさらに研究され、ベルサイユ宮殿の幾何学式庭園に反映される。そしてベルサイユ宮殿はドイツのサンスーシ宮殿やロシアのペテルゴフ宮殿など、世界中の宮殿に影響を与えていく。

 
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