ヴィッラ・アドリアーナとハドリアヌス
ポイキレの池。ティヴォリの豊かな自然を利用して、水と緑にあふれた空間を創り出した
ポイキレを囲む土壁
ハドリアヌスもそんなひとり。トラヤヌスが亡くなって117年に皇帝の座に就くと、翌118年にはヴィッラ・アドリアーナの建築を開始する。
五賢帝の中でもトラヤヌスまでは領土を拡大し続けたが、ハドリアヌスはそれを固めた皇帝だ。ハドリアヌスの長城を造ったのはケルト人の侵入を防ぐためだったが、それは城壁から北の土地をあきらめるということでもあった。実際彼はメソポタミアやアルメニアの土地を放棄している。
ライオンの身体と人間の頭を持つエジプトの怪物、スフィンクスの像
ローマに戻るたびにヴィッラ・アドリアーナの増改築を行い、133年、ようやく完成に至る。ギリシア式の柱、ギリシアの神々、エジプトの運河、ワニの彫刻等、各地の影響を受けたものに仕上がった。池を多用し、その周囲に柱や部屋を巡らせ、特に円や曲線を多用するデザインは、その後の別荘の典型になったという。
ハドリアヌスの晩年は、絶大な権力があったにもかかわらず幸福とはいえなかったようだ。人を信用できず、身体も精神も病んで自殺未遂さえ起こしたという。ハドリアヌスが亡くなったあと、この別荘はしばらく使われていたようだが、3世紀には放棄され、やがて廃墟となっていく。
ヴィッラ・アドリアーナと世界遺産「ティヴォリのエステ家別荘」
エジプトの神セラピスを祀ったセラピス神殿
ヴィッラ・アドリアーナのエントランス
やがてアラブから逆輸入した古代ギリシアや古代ローマの知識をもとに、当時の建築や芸術を模倣・発展させて、「ローマ風の」を意味するロマネスクや、人間の再生を目指したルネサンスの時代がはじまる。たとえばフィレンツェのドゥオモの巨大なクーポラ(ドーム)は、ローマのパンテオンを研究して設計されている。
世界遺産「ティヴォリのエステ家別荘」。その噴水庭園はベルサイユ宮殿をはじめ、世界中の庭園に影響を与えた
エステ家の噴水は「王の庭師」アンドレ・ル・ノートルらによってさらに研究され、ベルサイユ宮殿の幾何学式庭園に反映される。そしてベルサイユ宮殿はドイツのサンスーシ宮殿やロシアのペテルゴフ宮殿など、世界中の宮殿に影響を与えていく。