ラタはマレーシアなどで見られる、文化依存症候群の一つですが、私たちの間にも、ラタと近縁の症状で悩んでいる人は決して稀ではないかも知れません
対人恐怖症もその一つ。人前に出ると、頭が真っ白になるほど、あがる事は、私たちの間では、少なからず、ある事ですが、人前で堂々と自己主張する事が美徳である、西欧の人から見ると、対人恐怖症はナンセンスに近いのか、taijin kyofu sho と、ローマ字読みで、そのまま病名となり、日本人に見られる文化依存症候群の一つとされていました。
もっとも、近年、欧米においても、対人恐怖症に近縁の症状で悩む人は少なくない事が明らかになり、社会不安障害と病名が付けられ、対人恐怖症もその一種と考えられています。同様に、日本以外の地域で見られる文化依存症候群に関して、私たちの間にも、近縁の症状に悩んでいる人が少なからず、いる可能性はあります。
今回は、文化依存症候群の一つとして、マレーシアで見られるラタについて詳しく述べます。
ラタは、頭が真っ白になってしまった時に出現するもの
ラタ(latah)という言葉の、元々の意味は、マレーシア語で、「リラックスしていない」「刺激に敏感」といった状態をさしているようです。ラタの典型的症例では、マレーシアの中年女性が、何かに驚いて、頭が真っ白になってしまった時、以下のような特異的症状が出現します。- 周りの人の言葉を、おうむ返しする
- 周りの人のしぐさを真似る
- 周りの人に言われた通りにする
ラタは解離症状の一つの現われ
ラタは精神医学的には、解離症状の一つと考えられています。心の解離とは、自己のアイデンティティ、記憶、周りの認識などに混乱が生じる現象を意味します。日常的には、ボーッとして、白昼夢にふけっているような、いわゆる、我を忘れた状態が解離です。しかし、解離の程度が進んでいくと、解離中に病的症状が、例えば、解離中の記憶が無い「健忘」や、場合によっては、「多重人格」が出現するようになり、解離性障害と呼ばれる、心の病気の範疇に入ります。しかしマレーシアで見られるラタは、一般的な解離性障害と比べると、症状が特異で、それにはマレーシアの伝統的価値観が強く影響しています。
ラタの背景にあるマレーシアの伝統的価値観
マレーシアの伝統的価値観では、「子供は親に従い、親は祖父に従う。そして、女性は男性の意見を尊重する」事になっていて、従順性が美徳とされています。心の悩みを他人と気軽に話し合う事が、なかなか難しい事もあり、日常生活上の苦悩をひとりで抱え込むうちに、心の中で苦悩の圧力が非常に大きくなる事があります。何かの刺激によって、例えば、大きな物音に驚いて、思わず、頭が真っ白になってしまうと、「上の人に従順に従う」という伝統的価値観が反映されたような、上記の症状が出現します。
頭が真っ白になった状態というのは、大まかに言えば、脳内では、大脳皮質は働いておらず、辺縁系、脳幹部のみが働いている状態。具体的には、何も考えないで、ただ、何かを感じて、反応している状態です。この時、例えば、周りの人の声が耳に入ると、何も考えずに、その人の言葉を、おうむ返ししたり、その言葉通りに、動いてしまったりします。こうしたラタの状態は、再び、大脳皮質が作動するまで、つまり、我に返るまで、30分近く続く事もあります。
ラタの治療法は、心の病的解離が起き易い状況を避ける事
ラタでは、通常、本人は何らかの解決困難な問題を抱えていて、日常生活上のストレスが強くなると、ラタの症状が出現しやすい傾向があります。ラタの治療法は、基本的には、その本質である、心の病的解離が起きやすい状況を避ける事。心理療法などを通じで、心の葛藤を解決していくと同時に、ストレス発散法を工夫して、心の病的解離を起き難くする事が、ラタの治療法になっているようです。ラタに類似の症状は、マレーシアに限らず、フィリピン、タイなどでも見られ、それぞれ、マリマリ(mali-mali)、バージ(baah-ji)と、独自の名前が付けられています。
ところで、私たちの間には、ラタそのものは非常に稀だと思いますが、例えば、頭がボーっとなってしまった時、何か呟いてしまい、後で他人にそれを指摘されて、当惑したような事はあるかも知れません。そうした場合、往々にして、心に何か解決困難な問題を抱えているもの。悩み事は、他人に話せる機会があれば、逃さず話して、苦悩を減圧しておきたいもの。また、個人個人にあったストレス対策、例えば、定期的な有酸素運動なども大事。それでも問題が解決せず、日常生活上、困難が増して来ている場合には、精神科(神経科)で相談してみる事もご考慮ください。