世界遺産/アフリカ・オセアニアの世界遺産

聖カトリーナ修道院地域/エジプト(2ページ目)

紀元前13世紀、神がモーセに啓示を与え、十戒を刻み込んで与えたという伝説の聖地シナイ山。3世紀には天使たちが聖カトリーナの遺体をここに運び込んだという。今回は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地としていまも多くの巡礼者が祈りを捧げるシナイ山と、その麓にある聖カトリーナ修道院を紹介する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

シナイ山と聖カトリーナの伝説

聖カトリーナ修道院地域

山側から見た聖カトリーナ修道院地域。聖書を写した写本については、世界第二位の蔵書数を誇る ©牧哲雄

実はシナイ山にはもうひとつの伝説がある。物語の主人公は聖カトリーナだ。

カトリーナは3世紀末、エジプトのアレクサンドリアで生まれた女性。キリスト教徒ではなかったが、夢の中でイエスと婚約の契りを結び、キリスト教に改宗する。

当時エジプトはローマ帝国の支配下にあったが、ローマはキリスト教を弾圧していた。カトリーナは弾圧の停止を皇帝マクセンティウスに説くために奔走するが、結局斬首の刑で殺されてしまう。

シナイ山頂の三位一体聖堂

父たる神、子たるイエス、聖霊の三位一体をたたえるシナイ山頂の三位一体聖堂 ©牧哲雄

ところがカトリーナの遺体は消え去り、行方不明となる。遺体が見つかるのはなんと8世紀末で、修道士が夢の導きによってシナイ山麓で発見した。カトリーナの遺体は天使たちによってシナイ山へと運ばれたといわれている。

ローマ皇帝マクセンティウスは312年、コンスタンティヌス帝によって征伐され、遺体は市中引き回しの辱めを受ける。翌313年、コンスタンティヌス帝はミラノ勅令を出してキリスト教を公認し、380年にはテオドシウス帝によってキリスト教はローマ帝国の国教となり、ヨーロッパ中に広がることになる。

 

6世紀、東ローマ皇帝ユスティニアヌスによってシナイ山の「燃える柴」の地に修道院が、シナイ山頂には三位一体聖堂が建築される。8世紀に付近でカトリーナの遺体が発見されると、修道院は聖カトリーナの名を冠するようになる。

聖山シナイを登る

シナイ山とラクダ

ラクダを借りて山を登ることもできる。「ラクダは楽だ」なんて声をかけてくる客引きも ©牧哲雄

昔から多くの巡礼者がシナイ山を登り、祈りを捧げてきた。現在でも聖カトリーナ修道院を訪れるツアーのハイライトがこの山登りだ。

山を登るのは午前2時前後。聖カトリーナ修道院の近くにあるゲートが出発点になる。人工建造物は修道院とゲート以外にほとんどない。明かりは登山者の持つライトのみ。砂漠で空気が清浄なので、星があふれんばかりに輝いている。

山頂で夜明けを待つ

山頂で夜明けを待つ。光が闇を破り、色彩が爆発する朝の神秘 ©牧哲雄

「空には染みが多いんだな」と思ったのがこのとき。星雲や星団や染みのように淡く輝いている。いちばん大きな染みが天の川だ。本当に川のようで、星の集まりとは思えない。

歩いていると時々ラクダとすれ違う。ゲートにはたくさんのラクダがいて、背中に乗って山を登ることもできるのだ。 

登山といっても2時間半ほどのもの。シナイ山の標高は2,285mだが、ゲートが高くにあるので、それほど厳しい登山ではない。

 

日の出を眺める人々

日の出を眺める人々。国籍・人種・宗教・性別を超えて、同じ瞬間を共有する ©牧哲雄

山頂に着くと売店で紅茶をいただく。激甘のアラビア風だが、寒いのでこれがうまい。シナイ半島の海岸リゾート・ダハブでは昼間30度を超えていたが、ここでは夜氷点下になることもあるという。

東の空が白みはじめ、闇が青になり、緑から黄・赤へとその色を変える。太陽が出ると岩山たちが光を跳ね返して輝き出し、西の地平線にまで長い長い影を落としている。

圧倒的な自然の中で、人は神を感じる。シナイ山に神の逸話が多い理由が、ハッキリ理解できる。

 
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