100年店ランチ/東京の100年店ランチ

末げん(鳥割烹/新橋/創業1909年)

最後の晩餐、みなさんは何を食べるのでしょうか……。今回は三島由紀夫が最後の晩餐の場に選んだ、新橋「末げん」をご案内します。

菅野 夕霧

執筆者:菅野 夕霧

100年店ランチガイド

新橋SL広場からすぐの鳥割烹・新橋「末げん」

ニュー新橋ビルの西側に位置する同店

ニュー新橋ビルの西側に位置する同店

“サラリーマンの街”新橋。駅前ではテレビ番組を中心に、ビジネスマンへのインタビューなどが日々行われていますね。そんな駅前の通称SL広場からすぐ近くに、新橋「末げん」が存在します。新橋駅からは3分程度、あまり迷わずに行けそうな立地です。

近代的なビルに、旧店舗時代の木材を活用した店構え。店前のしだれ柳も含め、その歴史や伝統を感じさせる外観です。ある種の“猥雑さ”が独特の雰囲気を醸し出す新橋界隈で、凛と引き締まる空間。多少威圧感がありますが、ランチタイムには価格入りのメニュー札が店頭に並びますので、安心して!?入店できるのではないかと思います。

創業は1909年(明治42年)

かつて、“黒壁”と“間口九間”がシンボルであった末げん。1970年に三島由紀夫が楯の会のメンバー5人と市ヶ谷でのクーデター前夜、“最後の晩餐”をここ「末げん」で行ったことはあまりにも有名です。同店を“永遠のもの”にした、とは言い過ぎでしょうか。

同店のすぐそばには新橋の象徴の1つ「SL広場」が

同店のすぐそばには新橋の象徴の1つ「SL広場」が

さて、そんな同店創業の1909年とはどんな年だったのでしょう……。東京・両国に相撲の常設館(国技館)が誕生。三層構造の観客席に12000人を収容できる東洋一の建築物として、新名所となります。神戸~大阪間では「マラソン競争」が行われ、初めて“マラソン”の呼称が使用されることに。また、初めての板チョコレートが森永から発売されたのもこの年のことです。

時の内閣総理大臣は桂太郎。東条英機25歳、芥川龍之介17歳、阪東妻三郎8歳……そんな1909年に末げんがスタートしています。

では、三島“最後の晩餐”の店へと参りましょう

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