『百年の憂鬱』のあらすじ
作家生活にも行き詰まりを感じ、体力の衰えに悩まされている太った中年の主人公・義明は、水曜日だけ二丁目でゲイバーを営業しています。ある日そこに、学生の集団がやってきます。そのなかにユアンというアメリカ人と日本人のハーフだというモデルのような美青年がいて、お互いに意識するようになり、mixiでつながり、デートをするようになります(イマドキな出会いですね)。聡明な青年・ユアンは「義明さんの書くものって、冷めた文体に被われているけど、その仮面の下に、武士の志みたいな熱量がありますよね」と語り、主人公はその言葉に胸を打たれ、恋に落ちます。しかし、その恋は決して一筋縄ではいかず…という物語です。(そんな、中年のデブとモデルみたいな美青年がデキるなんてありえない!と思う方もいらっしゃるかと思いますが、ユアンはいわゆるフケデブ専。ゲイの世界では珍しくもなんともない話です)義明はユアンを、二丁目初のゲイバー「ペールギュント」の伝説のマスター・松川の家へと連れて行きます。もうすぐ百歳になろうとする松川は、同性愛者が「変態」と蔑まれ、憎み合うことでしか互いを確認できなかった(呪いでしかなかった)不幸な時代を生きてきたがゆえに「猜疑心に骨の髄まで冒され、なかなか人を寄せつけない」人でした。しかし、義明は根気よく(15年もかけて)松川のもとを訪ね、その心を開かせ、話を聞くことができるようになっていました。明治生まれの松川と、平成生まれのユアン、同じゲイであっても考え方や生き方が180度も異なる二人が、対照的に描かれていきます。
義明とユアンの恋は、初めのうちこそ、ロマンチックに燃え上がっていましたが、やがて、義明に海外在住の忠士という長年のパートナー(「命の恩人」という表現が本当に秀逸だと思いました)がいることが、しだいに若くて純粋な青年には耐えられなくなっていきます。ユアンは「ぼくと忠士さんのどっちが大事なの!」と義明にくってかかるようになり、二人は激しいケンカを繰り返すようになります。そのセリフのリアルさときたら(遠い昔に自分が浴びせられた言葉そのものです)…あまりにも痛くて、苦くて、胸がギューっと締めつけられるような気持ちになります。
10年以上もつきあっているような長年のパートナーとは、恋愛感情やセックスもとうになくなり、おだやかな家族のような存在です。しかし、長年の歳月に培われた信頼関係や絆は、容易には壊れません。ユアンは、若さゆえに、そして、その情熱の本気さ、純粋さゆえに、どうしてもその「絆」が許せなくなるのです。義明にとってはそれぞれが全く別次元のものであり、「どちらも大事」としか言いようがない…それも真実です(よくわかります)。そして二人は、泥沼のような言い争いを重ね(一方で熱烈に互いを求め合い)、身も心もボロボロになっていくのです…
あまり詳しくは書きませんが、ラストが素晴らしかったです(決してハッピーエンドではないです)。ちょっと雷に打たれたような…ゾクゾクするような感動がありました。正直、泣けました。そして、この小説が本当に好きになりました。恋をした、と言ってもいいくらいです。