632年を経ての完成
左がケルン大聖堂、中央がケルン中央駅、手前がホーエンツォレルン橋とライン川
16世紀といえば時代は宗教改革。1517年、ルターの九十五か条の論題に端を発した改革は、三十年戦争をはじめとするカトリックとプロテスタント両勢力による数々の戦争に発展。ドイツ国内は徹底的に破壊されて疲弊し、ケルン大聖堂の工事は中止され、以来200年以上もの間手つかずになってしまう。
時代は下って18~19世紀。イギリスでふたたびゴシック建築の価値を見直そうと、ゴシック・リバイバルの動きが現れる(ビッグ・ベンで有名な世界遺産・ウェストミンスター宮殿が代表例)。この動きがフランス、ドイツにまで広がっていくなかで、1814年にタイミングよく失われていたケルン大聖堂の設計図が発見される。
西ファサードを見上げる。塔には508段の螺旋階段があり、約100mの地点まで上ることができる。景色もよく、オススメ!
1842年、ついに再建が開始。1871年にはプロイセン王ヴィルヘルム1世の皇帝戴冠によってドイツの地はドイツ帝国としてはじめて正式に統一される。そして建設開始から632年を経た1880年、ドイツ国民の期待を受けたケルン大聖堂は高さ157mの双塔を持つ人類史上最高の建造物として完成を迎え、ヴィルヘルム1世も参加して竣工の式典が執り行われた。
ケルン大聖堂を外から眺めよう!
南東から見たケルン大聖堂。フライング・バットレスの向こうが内陣や後陣、下の青屋根の小部屋が放射状祭室になる
まずはゆっくりと周囲を回り、ゴシック建築を存分に味わっていただきたい。ゴシック建築としてはフランスの世界遺産「アミアン大聖堂」を模しているということで、典型的な形をとる。
バイエルン王ルードヴィッヒ1世が贈ったという5つのステンドグラスは「バイエルン窓」と呼ばれている。これは十字架から下ろされたキリストの像
十字架の左右を袖廊(翼廊)、下部の長い部分を身廊(ネイヴ)と呼び、頭の部分を内陣(チャンセル)と呼ぶ。身廊、内陣の外側には側廊という通路が通っており、内陣の先には半円がついていて、これを後陣(アプス)という。側廊とつながる後陣周りの回廊は周歩廊、周歩廊の外の小さな部屋の並びは放射状祭室だ。
身廊を支えるフライング・バットレス
つまり、ステンドグラスがここまで発達したのもゴシック建築のおかげなのだ。
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