SOHOとして成功する黄金パターン
もうお気づきかと思いますが、就労ビザにしろ永住権にしろその取得のためには職業技能がとても大切になります。ですから日本ですでに仕事経験があり、なにか特別なスキルを持っている人にとっては比較的アプローチしやすいのですが、そうでない場合はまずはカナダで通用するスキルを身につける必要があります。
自営業としてのSOHOとして成功するための黄金のパターンが一つあります。それはまずは会社勤めをし、必要なスキルと経験を蓄積した上でSOHOとして独立するというやり方です。会社勤めをしながらその業界の知識を得るとともに人脈を広げることができますし、開業資金を貯めることもできるため、ゼロからのスタートよりずっと有利になります。
このパターンは海外でも通用します。まずは現地の会社で働き、十分に力と資金を蓄えた上でSOHOとして独立するのです。独立前に現地の様子や商習慣などを知る上でも有効ですす。ただここには「キャッチ22」という大きな罠が待ち構えています。
海外SOHOのキャッチ22
「キャッチ22」というのはAをするためにはBをしなければならない、しかしBをするためにはAをしなければならないというジレンマのことで、同名の小説から来ている表現です。つまりスキルと経験を身につけたくて現地の会社で働きたいのだけれど、スキルと経験がなければ職探しも就労ビザを取るのも難しいということです。
実は僕もこの問題に直面し、永住権を取るまでに随分と遠回りをしました。1990年にカナダに来た当時、最初に求めた職は日本語教師。30通ぐらい履歴書を送ったのですが、経験がないのでことごとく×。ワーキングホリデイビザという最大1年間働きながら滞在できるというビザを持っていたのですが、すでに旅行に半年使っていたためそれもネックになっていました。
なんとかあるバス会社でツアーバスの運転手としての職を得たのですが、バスの運転をしていても永住権取得に有利になるような特別なスキルとは得られないため後が続きません。そう考えて、運転手の仕事をしながら、翻訳会社でボランティアで手伝いをしていました(経験もなく採用は断られたので)。それを続けるうちに、アルバイトとして少しずつ仕事をもらえるようになり、1年半後にはやる気と実力が認められて、正社員として迎えてくれるいたりました。キャッチ22を抜け出ることができたのです。
就労ビザはその会社で申請してもらったのですが、そこでのアルバイトでおぼえたDTPの技術をアピールして、当時バンクーバーで日本語DTPができる人材は少なかった、ということで就労ビザをゲットしました。この会社で技術翻訳、ソフトウェアローカライズ、CD-ROM制作など幅広い仕事をさせてもらえ、こうした経験を材料に1995年にようやく永住権を取得。最初に永住を思い立ってから4年以上かかったことになります。
人には同じやり方は進められません。時間がかかるし、確実に就労ビザや永住権が取れるという保証もないからです。なんとかカナダに残りたくて、ワーキングホリデイビザ、観光ビザ、学生ビザなどを駆使して、滞在期間を延長してきたものの結局就労ビザも永住権もとれずに泣く泣く日本に帰っていった人を少なからず知っています。