自分の仕事術は間違っていないか。ビジネススキルの学び方は、ほんとうに正しいのか――。30代前後のビジネスパーソンならだれもが突き当たる問題です。そんな悩める人々に贈る、「骨太のメッセージ」が「30歳からの成長戦略『本当の仕事術』を学ぼう」(PHP研究所刊)。戦略論のプロである著者が、戦略理論をもとに、個人がどうビジネススキルを学ぶべきかを明快に説いています。そこで、今回は前号に引き続き著者・山本真司さんに突撃インタビュー。ご自身のこれまでの体験や生き方についてうかがいました!
山本 真司(やまもと・しんじ) 1958年東京生まれ。経営コンサルタント。慶応義塾大学経済学部卒。シカゴ大学経営大学院で修士号(MBA with honors)取得。東京銀行、ボストン・コンサルティング・グループを経て、A.T.カーニー株式会社ヴァイス・プレジデント、戦略・組織グループアジア代表に。2005年4月、有限会社山本真司事務所設立。 |
ガイド記事著者にインタビュー!山本真司のビジネスマン成長戦略もあわせてお読みください!
僕は秀才タイプではなかった
●今度は山本さんご自身のご経験について教えてください。銀行出身で、MBAを取得され、現在は、外資系コンサルティングファームでご活躍中と、それこそ勝ち組中の勝ち組でいらっしゃいますが・・・
僕はけっして秀才タイプではなかったんです。普通の公立中学を卒業して、横浜の県立高校へ進みました。地元では進学校でも、全国的に有名な学校というわけではありません。
その時点で、いわゆるすごいエリートは中学受験で抜けてしまっています。いわば、背の高いどんぐりが抜けたあと、背比べしているようなものですよね。一浪し、慶応大学経済学部に入学後はまあまあ就職できるくらいの単位をかせぎながら、ごく普通の大学生活を送りました。
東京銀行に入行したのは、単に海外に行きたかったからです。学生時代はおカネがなく、海外旅行などできなかったので、会社に行かせてもらおうと(笑)。さりとて、商社や航空会社は体力がもちそうになかったものですから、銀行を選んだわけです。
入行後まもなく、留学を狙うことにしました。当時、日本でデリバティブが始まっていたことなどもあり、海外で知識を身につけた人材が必要とされていたんです。しかし、もともと英語がそれほど得意ではなかったので社内選考に通るのは大変でした。自腹で予備校へ通い、TOEFLを受けたんですが、ギリギリのスコアでようやくパスしたんですよ(笑)。
それにくらべ、ほかの留学生たちは30歳過ぎくらいの幹部候補生ばかりで、いわゆるトップエリートでした。若くしてそこへ乗り込んでいった僕は、かなり毛色の変わったタイプだったでしょうね。
●それにもかかわらず、シカゴ留学中に全米成績優秀者協会会員となっておられます
最初は苦労の連続でしたよ。まず、英語が全然わからない。授業に出ても内容が聴き取れず、教授が「来週、試験するから」と言ったのを聞き漏らしたりするのはしょっちゅうでした。でもそのうち、あることに気づいたんです。
ほかのMBA留学生たちはみんな、現地での就職が狙いです。だから、2年生ともなると面接ばかり受けていて、真剣に勉強しようという人はあまりいません。その点、僕は就職活動する必要などありませんから、“暇”です。
「ここで頑張れば、結構いい成績を取れるはずだ」と思いましてね。かなり根を詰めて勉強したんです。おかげで、2学期くらいからぐっと学内順位も上がり、成績優秀者に名を連ねることができました。帰国後は「成績優秀者だ」というので、ずいぶん銀行から喜ばれましたよ。
しばらくファンドマネージャーとして存分に活躍していたんですが、そのうち僕自身が仕事に飽きてしまったんです。出世競争にもあまり興味ありませんでしたしね。
●なぜコンサルタントをめざしたのですか
「今までとまったく違う仕事でもしようかな」と考えるようになったのがきっかけです。29歳のときでした。そこで選んだのが、マーケティングや企業戦略などを手がけるボストン・コンサルティング・グループ(BCG)です。
当時の外資系コンサルティングファームは、今ほど知名度がありませんでした。また、BCGは規模的にいってさほど大きい会社ではありません。でも、さぼり屋の僕にしてみれば、そこが狙い目。自分の力の程度はたかだかこのくらいだから、じゃあ、勝てそうなこのへんで勝負しよう、などというもくろみを抱いていました。
大きくてメジャーな会社で、努力してのしあがろうとするのは非効率じゃないですか。もちろん、入社してみたら周りは優秀な人間ばかりで、大変な思いをしましたが(笑)。
こうして、コンサルタントになったわけですが、とくに将来のことを考えてキャリアアップを図ったわけではありません。もともと場当たり的にやりたいことをやるほうが好きなんです。しかも、コンサルタントの寿命はせいぜい15年ほど。安定性もなく、当時はけっして人気のある職種とはいえませんでした。
しかし、大切なのは「こんなふうに生きたい」という目標を持ち、それに向かって努力すること。僕にとって、キャリアやビジネススキルの獲得は、あくまでそのための手段にすぎませんでした。
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