援助職が陥りやすい共依存とは
共依存とは何か
援助職に多い共依存
これだけを読んでも、え、どういうこと? と思いますよね。
世話を焼くことが、なぜいけないの? と。
酒を飲み過ぎないように酒のビンを隠す。二日酔いで仕事に行けない本人に代わって欠勤の連絡をする。代金を払わずに帰ってきた飲み屋に本人の代わりにお金を払いに行く。酔って会社を休んでいる父親のことを、子どもに「おとうさんは具合が悪いのよ」と本当のことを言わずにかばう。
アルコール依存症で言えば、こんな世話焼きが問題だと言われています。なぜいけないかといえば、こうした世話焼きを続けることによって、本人は後始末の心配をせずに、心おきなくお酒を飲み続けられるからです。依存症者に自分の不始末の責任を取らせず、代わりに責任を背負うことが共依存状態にある家族の特徴。世話を焼き続けることで、次第に、自分の時間や自分の生活を失っていきます。その一方で、過剰な世話焼きによって依存症者が自分なしでは暮らせない状態を作り出してしまい、無意識のうちに依存症者をコントロールしているのです。こうした依存症者の家族は、アルコール依存症者に飲み続けられる環境を作ってしまう人、飲み続けることを可能にさせてしまう人、という意味から、「イネイブラー(enabler)」と呼ばれています。
今では、「共依存」状態は、アルコール依存症の家族だけではなく、ドメスティック・バイオレンスの加害者と被害者、過干渉な親とその子どもなどの関係にも見られると言われています。そして、援助職と被援助者の間にも。
その人の責任をその人自身に負わせず、代わりに責任を負う、と聞いてドキッとした人はいませんか?
では、援助職のイネイブラーとはどのような状態にある人なのか。
援助職での共依存
援助職でイネイブラーになりやすいのは、サービス精神が旺盛で、利用者の力になりたい、役に立ちたい、という気持ちが強い人。もともと、援助職にはこうした考え方の人が多いですから、共依存になりやすいとも言えます。サービス精神が旺盛な援助職が共依存状態に陥りやすいのは、依存心の強い被援助者の対応をしているときです。といっても、あれをしてほしい、これをやってくれ、というわかりやすい頼り方をしてくる被援助者は、それほど問題ではありません。こうした要求は、「それはできません」と、線引きをしやすいからです。
しかし、たとえば公休日の翌日、親しい入居者に「きのうはあなたがいなくて、Aさんが食事介助をしてくれたけれど、食事が進まなかった。やはりあなたでないと」とか「夜、姿が見えなくて、不安でなかなか寝付けなかった」というようなことを繰り返し言われたら、何となく「休んで悪かったなぁ」とは思いませんか。「明日はいるの?」と聞かれたら、休みにくいような気持ちになりませんか。
このような「私がいないとこの人はだめなんだ」と思わせるような言葉は、言われて悪い気はしません。また、最初のうちは否定したり拒否したりするほどのことでもないでしょう。しかし被援助者のこうした言動は、援助職を次第に被援助者の抱える問題に巻き込んでいきます。気がつくと、必要以上の支援をしていたり、いつもその被援助者のことが気にかかるようになったりします。
頼り頼られすぎると、被援助者はその援助職がいないと何もできない状態になり、援助職はその被援助者の世話に追われることになってしまいます。世話に追われてたいへん、と口では言いながら、実はその状態に安住しているのが共依存。被援助者が自分の支援なしではいられない状態を作り出して自分の存在意義を確認し、存在意義を失うことがないよう、つまり自分を頼り続けるよう、意図せず相手をコントロールしているのです。
別の例を挙げると、自分で着替えられるものの、とても時間がかかる訪問介護の利用者を見ていられず、ヘルパーが手伝って着替えさせてしまうというようなケースがあります。こうしたケースでは、ヘルパーは利用者に感謝され、役に立っていると思いがちです。しかし、着替えだけでなく、食事介助も排泄介助も、本人ができることまで先回りしてあれこれ手伝ってしまうと、やはり利用者が自分を頼り続けるようにコントロールし、利用者の自立する力を奪うことになります。アルコール依存症者の家族が、依存症者の回復を妨げるように。
本来、「私がいなくては、この人はダメ」という状態は健全ではありません。誰もが基本的には独立しているべきですし、独立している中で、援助職はできない部分だけに手を貸してあげることが大切です。また、24時間365日援助できるわけではないのですから、自分以外の誰が援助してもOKという状態を作っておかなくては、被援助者にとっても不利益が多くなってしまいます。
では、どうすれば共依存状態にならずにすむのか。
援助職での共依存に陥らないためには
共依存を避けるには、自分と相手との境界線をはっきりさせることです。被援助者になにか問題が起きたとき、被援助者が責任を負うべき領域に踏み込みすぎないよう気をつけて、必要以上の支援をしないこと。突き放しすぎてはいけませんが、相手の解決能力を見極めて、できることは本人に解決を委ねることが大切です。自分で解決するように言うと、多くの場合、被援助者は抵抗します。
「自分には解決できない」「見捨てるのか」等々、あの手この手で責任を逃れ、援助職に解決してもらおうとします。サービス精神旺盛な援助職は、ここでつい手を貸してしまいがち。しかし、その手に乗ってはいけません。援助職としてできるのはここまでだというラインをはっきりと示し、あとは、あなたには自分で解決する能力がある、そう信じているし、そばで見守っているというスタンスで側面から支援します。被援助者に代わって問題を解決するのではなく、被援助者が自分の力で解決できるよう支えていくことが大切なのです。
依存心の強い被援助者は、自分の負うべき責任を突きつけられると、一時的に落ち込んだり、状態が後退したりすることもあります。しかしそこでひるんではいけないのです。
これは口で言うほど簡単なことではありません。
特に、すでに共依存状態に陥っている場合、被援助者を自分から切り離して自立してもらうのは、援助職自身、身を切られるような苦しみを伴います。これは、援助職自身が人に頼られることに自分自身の存在意義を感じているからです。いきなり、共依存状態の解消をすることは困難です。場合によっては、人から頼られない=必要とされていない、存在意義がない、という思いにとらわれ、自己否定からうつ状態になることもあります。
自分が共依存状態にあると感じたら、一人で解決しようとしないでください。まずは、心理カウンセラーや信頼できる職場の先輩(スーパーバイザー)の力を借りながら、時間をかけて、人に頼られていなくても自己肯定できる自分を取り戻すことが先決。それから、共依存状態の解消に取りかかるよう心がけてほしいと思います。