2001年10月、(社)シルバーサービス振興会の月例研究会で、(株)ニチイ学館の北村俊幸氏を講師に、介護保険施行からそれまでの同社の事業実態についての話を聞く分科会がありました。
介護保険施行に向けて、一気に多拠点展開をすすめた同社が、同じく多拠点展開の施策をとったコムスンとともに、見込みはずれから拠点数縮小、施策の大幅変更を余儀なくされたことは、みなさんすでにご存じのことと思います。
失敗の原因すべてが語られたわけではないのですが、どこに見込み違いがあり、そこからどう立ち直ったのかが、ある程度は語られました。では、さっそく、何がいけなかったのか、どうして立ち直れたのかを、北村氏の話をもとに紹介していきましょう。
どこに見込み違いがあったか
【見込み違いその1→3つのサービスの受注割合】
訪問介護サービスには、掃除や食事の支度などを行う家事援助、食事介助、入浴介助、おむつ交換などを行う身体介護、その両方を同じぐらいの割合で行う複合型の3つのサービスがあります。
「このサービスの受注割合を、当社では介護保険施行前、身体介護6、家事援助4の割合でシミュレーションしていました(複合型は保険施行直前に導入が決まったため、事業計画上は考慮せず)。ところが、ふたを開けたら、身体介護は3、複合型も3,家事援助が4、という割合。どこに分類するか、わかりづらいものは複合型に、という市町村も多かった。厚生労働省の通達の解釈が、各市町村によって違ったわけです」(北村氏)
【見込み違いその2→1人あたりの売上げ】
介護報酬単価の高い身体介助を6割と考えていたのに、実際はわずか3割。最も単価の低い家事援助が逆に4割となってしまったことで、ニチイ学館の売上げは予想を大きく下回ることになりました。
「1人あたりの売上げは、7万円を想定していたのですが、2000年4月時点では4万7200円、9月も4万7200円でした。2001年4月になり、5万2770円まで上がってきて、2001年10月現在は5万4000円ぐらいまでは上がってきていると思います」(北村氏)
とはいうものの、それでも予想を1万6000円も下回っています。そのため、介護サービスを主体としたヘルスケア事業の今後を考えたとき、訪問介護事業以外の柱も作る必要があると考えたようです。
【見込み違いその3→利用者数の伸び】
ニチイ学館では、介護保険が導入された2000年の中間期(2000年4月~9月)の訪問介護サービス利用者数は1万8510人。2000年4月から1年間の通期で見ると、2万7657人。これが、2001年中間期には3万5000人強になったとしています。
介護保険導入前、「駅の前の丸井のように、全国の主要な駅の前には『アイリスケアセンター』(ニチイ学館の訪問介護事業所名)の看板を掲げ、全国展開している安定感と知名度で、多くの利用者を獲得できると考える」と言っていた北村氏。
どれぐらいの利用者を獲得できると想定していたか、という話はありませんでしたが、予想を下回ったことだけは確か。その原因については、
「利用者に、事業者を選ぶための情報がなかったし、選ぶための知識も備わっていなかった。それに、措置時代からの継続の人が多かったため、新規利用者の獲得が思うように進まず、結果、思ったほど利用者数が伸びませんでした」(北村氏)
この結果、ニチイ学館のヘルスケア事業は
2000年3月期 売上高 55億400万円
営業利益 ▲43億9900万円
2001年9月期 売上高 64億4600万円
営業利益 ▲67億9900万円
2001年通期 売上高 170億8500万円
営業利益 ▲116億8700万円
と、売上げを拡大すれば、赤字もますます拡大するという厳しい状態になっていました。
ではこの状態から、どのようにして脱していこうとしたのか。それは次のページで。