青山さんの研究用、ブラコレクションの一部。それにしてもブラってこんなに美しかったんですね。 |
女性であることを振り返ることもなく、ただがむしゃらに
別れた夫を見返したいという気持ちと離婚後の青山さんを支えたのは、1人でもしっかりと自立して生きていこうという上昇志向でした。でも社会の中で女性が1人生きていくことの難しさを実感することたびたび。がむしゃらに働くうちに、自分が女性であることなど振り返ることもなくなっていき、「女でいることは損」だと思うようになります。当時を振り返ると、「がんばって男性と肩を並べて働いているうちにどんどん”男性化”していた」とのこと。
今でこそ、ブラジャー研究家として活躍中ですが、実は青山さん、はじめてのブラを中学校時代に購入して以来、30歳までずっと同じブラを使っていたというから驚きです。つまり1枚のブラを15年間常用していたということに!「ブラを着けると苦しくて。もう、わずらわしくて仕方なくて、気付くとブラジャーをしていないことが多かったですね。つけていなくても、少し厚手のワンピースとか着てれば、わからないと思っていたの」。
今でこそ「ブラジャーは体型変化に合わせてマメに買い替えるものです」とセミナーや講演会で指導するお姿からは、想像がつきません。では、なぜこの180度ともいえる大きな変化が青山さんの身に起きたのでしょうか。
2006年6月3日 女性と仕事の未来館で行われた「バストアップは、キャリアアップ」セミナーの様子。メモを取りながら聴く、熱心な受講生の方も |
ブラジャーとの運命的な出会い
転機は、30才。それはとあるデパートで、洋服販売の仕事をしていたときのこと。いつものように社員食堂で昼食を済ませ、従業員用エレベーターで売り場へと向かっていた青山さん。エレベーターに乗り合わせた女性にふと目をやると、その女性の胸が、「嘘でしょ?」というぐらいカッコいい形をしている。それはまるでルーブル美術館の彫刻のようだったといいます。その衝撃たるや身動きができなかったほど。世の中に、こんなにも美しい胸元が存在するのだろうかと。ドキドキしながらも「きれいな胸元ですねえ!どこのブラジャーですか?」と聞いてみました。するとその方は、エレベーターを降りる間際に余裕の表情で、「フランス製よ」と一言言い残し、売り場へと消えていったのだそうです。
青山さんの頭の中には、「フランス製」という言葉だけが、ぐるぐると廻っていました。その女性からブランド名を聞いたわけではありません。でもなんとしてでも、それと同じようなブラを探したい!という気持ちが、次の行動へと駆り立てます。
そこから青山さんのブラ探しの日々が始まりました。テレビで、雑誌で下着特集を探すという地味ながらも必死の思いのブラ探し。そして、ついに立ち読みした雑誌の下着特集でフランス製ブラを取り扱っているお店の電話番号を発見、すぐさまその場で書き写すことに成功しました。このようにして、やっとの思いでたどりついた一軒家の下着専門店。ここで青山さんは、自分の体にぴったりフィットするブラを手に入れます。
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