なぜか人より時間がかかってしまう
何をするにも時間がかかる……
同じことをやっているのに、同僚が、友人が、自分より先に出来てしまう。
「なぜ自分には出来ないのか?」「なぜ時間がかかってしまうのか」
と悔しい思いをすることってありますよね。私も同じです。子供の頃から「要領が悪い」という言葉を、何度言われてきた事でしょう。でも、ふと思ったのです。
「要領が悪くて何が悪い!?」「時間がかかって何が悪い!?」
何かを達成しようとする時、期限を設定してそこに短期間でたどり着く事が「よし」とされる風潮がありますが、果たして、それって本当に「良い」ことなのでしょうか?
時間をかけることの意味
私自身、仕事と育児に追われ、バタバタしながら料理をする毎日です。特に「料理を手早く作る」のが苦手で、時間がかかりすぎてしまうこともしばしば。休みの日でさえ、午後3時くらいから夕食の準備を始める始末。そわそわして「今夜は何を作ろうか」「何を食べようか」と悩む日々でした。でも、ふと気づいたのです。「料理に時間がかかる」=「料理に時間をかけている」と違う捉え方をしても、かかる時間そのものは同じだということに。時間の使い方を再考する
私は長い間「成果が同等であるなら、短時間で成果を出す事が素晴らしい」という価値観に支配されていました。仕事、育児、家事が生活の大半を占めるなか、仕事が速いことを褒められるのがうれしかったのです。確かに早く仕事ができれば、空いた時間を他のことに使えます。そのため、「効率化」がキーワードになり、どうしたら「早く」出来るか、とそればかり考えていました。でも先の料理の経験から「早くできること=良い」という考えに疑問を持ちはじめました。肯定した場合の効果
時間をかけている自分を肯定する
へりくつと言われてしまいそうですが、「時間がかかる」を「時間をかけている」と肯定することにしたら、不思議な効果が現れました。まず、なんといっても料理そのものが楽しいことの一つになりました。食材を丁寧に扱っている気がするし、料理が上手になったようにも感じます。そして、今までの料理に対する劣等感が「スーッ」と消えていくのを体感しました。勉強についても同じです。次のように肯定します。
本を読むのに時間がかかる → 本を読むのに時間をかけている
すると、本が愛おしくなり、丁寧に読むようになりました。また気に入った本はすぐ手の届くところにおいて、何度も読み返すようになりました。読み終えるのに時間がかかっても全く気になりません。
声に出して、脳をだまそう!
この料理の一件から、今は時間がかかってしまう自分を責める事がなくなり、むしろ「丁寧に時間をかけて向き合っている」と思えるようになりました。「ものごとは捉え方次第」とはこういうことを言うんでしょうね。さて、この方法を試すにあたり、一つオススメしたいことがあります。それは、「声に出して言ってみる」ということです。「私は、丁寧に、時間をかけて料理している」と声に出して言ってみます。何かの本で読んだのですが、声に出してあげると脳がそれを事実だと認識するようになるそうです。最近は、ポジティブな言葉を口癖にすることでよい事がおこる、といった趣旨の本がベストセラーになっています。声に出すことは、意外に効果があると私も感じています。時間がかかってしょうがない、と自分を責めているあなた。試しにそれを前向きにとらえ、「丁寧に時間をかけている」と声に出して肯定してみませんか?きっと「時間がかかること」で落ち込む回数を減らせるかもしれませんよ。
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