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社会人になっても学校に行くことの意味

義務教育から開放されて、もう勉強しなくてもいいはずなのに、なぜ社会人は今さら学校に行くのか?何の意味があるのか?

西島 美保

執筆者:西島 美保

社会人の学びガイド

なぜ今さら学校に行くのか

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私達はなぜ学び続けるのだろう?
仕事を続けながら、あるいは仕事を辞めて再び学校で学ぼうとすると「なぜいまさら?」「何の意味があるのか?」という周囲の言葉に傷つくことも多い。

私自身、まだ社会人の大学進学が珍しかった頃、「再び大学に行きたい」と打ち明け、周りの人から同じような疑問を浴びせられ、落ち込んだ経験がある。なぜなら、その質問に対して説得力ある答えを見つけられなかったからだ。

「学び」にはまる社会人

社会人が学校に行くことは、義務教育の子供たちが学校に行くことは、学ぶという共通項はあるものの、学ぶ本人および周囲の考え方が全く違う。義務教育の頃、あるいは高校生の頃は、「学校なんて面倒くさい」「なんで勉強しなくちゃいけないの?」と思った人もいるだろう。

それなのに、社会人になって再び学び始めた人の多くが「勉強が好き」「学ぶことが好き」と言う。そして、一度大学を卒業しても、再び大学院に進学したり、違う学位を取ろうとしたり、「学び」にはまる社会人が多い。

この差は何なのだろう?

「自ら学ぶ」意志が生み出す力

子供と社会人の学びの違いは、そこに自分の意志が存在するかどうかだろう。子供が「義務教育だから」または「みんなが行くから」「勉強しなくちゃいけない、と言われたから」学校に行くのとは違う。

「自ら学びたい」という意志は、ただ学ぶ以上に実は大きな可能性や力を秘めている。でも義務教育時代はなかなかそのことに気づかず、大人になって「もっと勉強しておけばよかった」と思う人も多いはずだ。

しかし社会人になり誰に強制されることもないのに、自分のお金と時間をやりくりして進学すると、自ら学ぶ楽しさにはまっていく人が多い。テストや論文作成などで苦労するのは義務教育時代とあまり変わらないというのに、その苦労さえ、楽しめる自分に驚いたりする。

これも「自らの意志」によるパワーなのかもしれない。

迷わず行けよ、行けばわかるさ

アントニオ猪木がリングで「人は歩みを止めたときに、そして挑戦をあきらめたとき、年老いていくのだと思います」と前置きし、一休和尚の「道」という詩を読み上げたのはとても有名。

【道】
この道を行けばどうなるものか
あやぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せば その一足が道となり、その一足が道となる
迷わず行けよ
行けばわかるさ

これは、私が勤めていた会社を辞めて留学する時、同僚からはなむけの言葉として贈られた言葉だ。いつもこの詩が先の見えない自分を支えてくれたことを思い出す。

進学の理由は人によって様々。学位をとりたい、資格を取りたい、純粋に勉強したい、仕事に必要だから、夢をかなえるために、等々。

自分の人生だから迷って当たり前!迷って、落ち込んで、悩んで、相談して、最後は自分で決めて、自分の道を作っていく。「あの時やっておけばよかった」と後悔する人生より、とにかく一歩、前に進んで道を作ってみよう!そうやってもがくことで「いまさら学校」に行く意味が見えてくるはずだ。大丈夫、行けば分かるさ。


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