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自民を圧勝に導いた小泉純一郎の政治手法

衆議院総選挙で歴史的勝利を収めた小泉自民党。小泉首相の政治手法を「ポピュリズム」という言葉で,そして民主党の敗因を「ナロードニキ」という言葉で,それぞれ考えてみました。

執筆者:辻 雅之

(2005.09.12)

小泉自民党が296議席獲得という歴史的圧勝を手に入れました。自民党圧勝の要因、やはり第一は小泉首相のカリスマ性によるところが大きいのでしょう。そんな「小泉流ポピュリズム」に迫ってみました。

1ページ目 【戦後日本最高のポピュリスト、その名は「小泉純一郎」?】
2ページ目 【表向きはポピュリズム、そして背景には巧みな「小泉流マキャベリズム」】
3ページ目 【「インテリ主義」に陥った?民主党は日本版ナロードニキだったか】

【戦後日本最高のポピュリスト?小泉純一郎】

「ポピュリスト」とは?

ポピュリズムという言葉。お聞きになったことはあるでしょうか。

人民主義とも訳すこともありますが、訳さないほうがわかりやすいかもしれません。「第一に大衆のほうを向いた政治手法」といったほうがわかりやすいでしょうか。

このポピュリズムという運動形態の上に立って権力を振るう政治家のことは、しばしば「ポピュリスト」とよばれます。

難しいポピュリズムの定義

とはいえ、ポピュリズムというものの定義は、難しいものがあります。

ポピュリズムという言葉はもともと、ラテンアメリカ諸国でみられた1930年代~1950年代の政治の様子をさした言葉でした。

つまり、人民の支持を受けたカリスマ的指導者による権威的な独裁体制、これがポピュリズムであるとされてきました。

(一方、アメリカで起った19世紀末の人民運動を「ポピュリズム」ということがありますが、ここでは触れません。)

有名なのはなんといってもアルゼンチンの政治家、 ペロンですね。奥さんがあのエビータだった人です。このペロン夫妻のカリスマによって国民は動かされ、ペロン政権を支えたのでした。

他にも、ブラジルのバルガス政権、メキシコの制度的革命党(PRI)体制がこれにあたるといわれています。

なぜポピュリズムが表れたのか

1960年代から、経済の崩壊とともにラテンアメリカ諸国のポピュリズム政権も相次ぎ崩壊、軍事政権にとってかわることになります。

その後、1960年代~70年代の国際関係学者や経済学者(マルクス主義者を中心に)などは、ポピュリズムをこのように定義しました。

「市民革命による組織政党の成立や、労働組合などによる近代的な労働者の団結を経ないまま、資本主義に取り込まれていった大衆たちが、カリスマ政治家のもとに結集、動かされた体制である」

わかりにくいですね、すみません。要は、(1)前近代的で、労働組合などの組織化がなされていない大衆が、(2)20世紀の社会にいきなり直面してカリスマ政治家のもとに結集した、ということです。

もちろん、議論はさまざまあり、この定義に対し批判的なものもあるのですが、おおむね、ポピュリズムについての議論は、この定義の是非を中心にしていたものでした。

現代先進国に表れたポピュリズム

しかし、「近代化」を経たはずの欧米先進国にも、ポピュリズム的政治体制は表れることになります

その代表が、1980年代アメリカのレーガン政権でした。レーガンは、組織よりも、大衆にその支持基盤を求めました。彼は「ワシントン人」ではない「普通の人」を強調したことでかえってカリスマ性を増し、20世紀後半を代表する政治家になったのでした。

そして、21世紀初頭の日本において首相となった小泉純一郎氏です。

小泉純一郎氏もまた、支持基盤を国民に委ねました。2001年の総裁選では、ともに大衆的人気のある田中真紀子氏をパートナーにし(その後、ご存知の通りたもとを分かつわけですが)、わかりやすく、痛快な響きの言葉(「自民党をぶっ壊す」など)を連発し、自民党員の圧倒的支持で自民党総裁になり、政権を担うことになったのです。

※政権は獲得していませんが、フランスにおいて強力なカリスマを発揮したルペン氏を党首とする国民戦線(FN)の台頭など、一部の大衆の支持を得て西欧諸国で極右が台頭してきた現象を「ネオ・ポピュリズム」ということもあります。

地方自治体で先行した「日本型ポピュリズム」

さて、政党という集団を中心とした議院内閣制のシステムで、小泉政権のようなポピュリズム政権が誕生するのは遅れましたが、大統領制に近い地方自治体の首長(知事など)では、そのような性格を持つ首長が誕生していました。

それが、ご存知、1999年に東京都知事になった石原慎太郎氏と、2000年に長野県知事になった田中康夫氏です。

しかし、彼らは小泉首相と違い、ある意味で知性的な権威を振りかざすところがあり(振りかざす知性のベクトルは大きく異なりますが)、それはかえっていまだ日本の大衆が権威に依存し続けていることを意味しているのかもしれません。

新しい「ポピュリズム」定義

この日米を代表するポピュリズムを考え、そしてラテンアメリカの例を考えると、新たなポピュリズム概念が生まれるように思えます。

まず、ラテンアメリカのそれも現代日米のそれも、「組織されてない大衆がカリスマ政治家によって動かされる」現象である、ということです。

ラテンアメリカにおいては労働組合や組織政党のような組織化が「未熟」でした。

一方、現代の日米においては、反対にそれまでの主要組織が動揺、崩壊してしまい、国民は未組織の中に放り出されてしまう。ベトナム=ショックで動揺していた70年代末期のアメリカはそうでした。

日本もまた近年、労働組合の力は年々衰える一方、企業も経済のグローバル化と不況の中で従業員の終身雇用を放棄して企業への忠誠心は著しく低下,その組織力や求心力を低下させていました。

そのようななかで、2001年の総裁選で、依然として組織頼りだった橋本元首相は、未組織の大衆に支持された小泉首相に敗れ去ったのでした。

次のページでは、こうした小泉首相の「ポピュリスト」ぶりを、さらに検証してみていこうと思います。

※ペロン政権:ペロニズム

1943年、軍人ペロンがクーデターで樹立した政権。ペロンはペロン党(正式には「正義党」)を組織して、大衆を組織化、民族主義的な社会主義政策を断行した。

その後、ペロン党政権は軍事政権によって打倒されるが、労働者の支持を基盤にその後も組織を維持し続け、1980年代末に政権復帰。現在も最大政党として政権の座にある。古典的な民族社会主義政策からは転換している。

「エビータ」の愛称で親しまれているエヴァ・ペロンは貧困対策と女性参政権実現に努め、夫以上に大きな影響力を持った。しかし一方、不正蓄財の疑惑がないわけではない。ペロン失脚前にガンで死去。

◎小泉「刺客」作戦の典型的勝利……「お国替え」でも小池氏勝利、東京10区

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