1ページ目 【生まれつき持っている、それが「基本的」人権】
2ページ目 【人権と「公共の福祉」との難しい関係】
3ページ目 【自由をほんとうに保障させる社会権】

【人権と「公共の福祉」との難しい関係】

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自由権は大きく分けて3つ

自由権には、

・人身の自由
・精神的自由権
・経済的自由権

があります。人身の自由は、絶対保障されなければならないはずの権利です。つまり、悪いことしていないのにかってに拘束されないという権利です。逮捕するためには、裁判官の逮捕令状が原則必要で、政府機関によるみだりな拘束はできないようになっています。

でも、これも形式的なものになっていて、警察・検察のチェックを裁判所が果たしているかどうか疑問に思うのは私だけでしょうか? 話題の「ウィニー」の作者なんて、証拠は全部ネット上で公開されてて証拠隠滅なんて今さら無理だし、著作権法違反の罰則なんて軽いものだから逃亡の恐れなんかなきに等しいし、それでも拘留するんかい? と思ってしまいます(ウィニー問題についてはここを)。

横道にそれてしまいました。超基礎講座なのに。

で、精神的自由権と、経済的自由権は、どちらかというと「行使する」権利ですね(もちろん、行使しないことを強制されないということもあるのですが、ここはシンプルに、「行使しない権利を行使する権利」と考えましょう。シンプルじゃない?)。自由な言論行為が行える権利、自由な宗教行為が行われる権利、自由な売買が行われる権利、という具合に。

このような行使する権利は、ややもすると濫用(乱用)されかねません。それを防ぐため、日本国憲法では、このような規定をおいています。

日本国憲法 第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に関する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。(下線は筆者)


下線のところですね。公共の福祉に反しない限り、つまりみんなの迷惑にならない限り、権利は行使できる。濫用はできないわけです。

「公共の福祉に反しない限り」とはどんな限りか

問題は、この「公共の福祉に反しない限り」の範囲です。これは、精神的自由権ではできるだけ狭く、経済的自由権では比較的大きく考えよう、という学説が有力です。これを「二重の基準論」といいます。

つまり、精神的自由権とは、言論の自由、学問の自由など、民主政治にとって必要な権利なわけですね。だからなるべく尊重する。経済的自由権、たとえば職業選択の自由はお金をどうやって稼ぐかということだから経済的自由権です。いちおう憲法でも、この自由は保障されています。

しかしですね、たとえば免許なしにだれでも医者になれたら、ヤブ医者が増えまくって国民の健康がおびやかされる。何でも売っていいからって覚せい剤売買されたら困る。だから、経済的自由権というのは「公共の福祉に」反する範囲を広くとるべきだと考えられているのですね。

日本国憲法でも、経済的自由権の規定箇所は、あえてもう1回「公共の福祉」が登場します。憲法上、経済的自由権はやはり強く規制されているということの根拠としてよくあげられています。

日本国憲法 第22条第1項
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。(下線は筆者)


時代によって加えられてきた人権

平等権や自由権は、人権の中でも古くから発展してきた権利で、18世紀のヨーロッパではすでに確立しはじめていたので「18世紀的権利」といいます。

それにくらべ、参政権の全国民への保障は19世紀になってからで、「19世紀的権利」ということもあります。日本の場合は1945年でしたが。

そして、20世紀になって初めて認められた「20世紀的権利」が、人の尊厳ある生存にとってかかせない「社会権」です。次ページでは、社会権についてお話しましょう。